鷗外さんの「小倉日記」 ⑪三樹亭の姉妹
鷗外さんお気に入りの京町の「三樹亭」の続きです。
小倉で最初といわれる西洋料理店「三樹亭」には美人の姉妹がいました。
姉の名は三木トク、妹は三木ユキといいます。
鷗外さんは明治34年1月1日の日記に
〈天晴れたれども、雨後の道賀客を悩ます。三樹亭の女美貌を以て聞ゆ。終日これを傭ひて客に酒を勧めしむ〉
と書いているように、自宅でお客をもてなす時も家に来てもらっています。
その時も、お手伝いさんを2人置いていたことと同様に、あらぬ噂をたてられないため、必ず姉妹を2人で呼びました。
この姉妹、松本清張さんの著書「鷗外の婢」によると、
<姉の方の消息は分からないが、妹トクは、神奈川県の江の島の旅館に養女として移ったという。その先は江の島の人によると、「トクは箱根の・・・これも名を伏せるが、有名なホテルの若主人と結婚したというんだ」「ぼくはそのホテルの支配人に会ってトクさんの話を聞こうと思った。ところが、そのとき忙しい仕事があって箱根に行くことができなかった。とうとうそのまま行きそびれた。それが残念でならない」>
となっています。
「鷗外の婢」の記述について、2、3人の北九州鷗外記念会の会員に尋ねたところ、「だいたい合っていると思うよ」「清張さんは小説家だから」など虚実どちらかわかりませんでした。
古い昔の話ですから、はっきりしないのも無理はありません。
「らいおん」の創業者のお孫さんにあたる中野さんのブログによれば(勝手に引用してごめんなさい)
《海軍軍人だった祖父が、明治から続く料亭の主人となったのは、海軍除隊後の大正4年のことであった。それまでの屋号だった『三樹亭』を『らいおん』と改めて、昭和35年に廃業するまで、小倉の老舗として多くの著名人に愛されて、繁盛していた。
『三樹亭』の時代には森鷗外が、そして『らいおん』の時代になっては、国民的な演歌歌手となった芸者•赤坂小梅や、人妻演歌歌手として一世風靡した音丸、芥川賞を受賞した松本清張が、私の記憶の中にある、木造3階建ての建物の中の洋間やお座敷の中で、食べて飲んで、語らい、舞い踊っていたのである。》
中野さんのお店は堺町にあって今でも北九州市でも有数の名店です。
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