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鷗外さんの「小倉日記」⑰軍都

鷗外さんが赴任した小倉は、戦前「軍都」と呼ばれていましたが、その始まりは明治7年4月、陸軍歩兵第十四連隊が小倉城内に新設されたことです。
その前の明治4年、近代国家にふさわしい軍備を整えようと 西海道鎮台(さいかいどうちんだい)の設置が決められました。
西海道鎮台は全国に二つしかない鎮台の一つで、本営を小倉に、分営を博多(福岡)と日田に置くこととされました。
西海道鎮台には熊本藩と佐賀藩から兵1大隊ずつを出させています。
4か月後の10月4日(8月20日)に兵部省が全国に4鎮台を置くことを決定すると、西海道鎮台は廃止され、替わって鎮西鎮台が熊本に設置されます。
西海道鎮台は4か月しか存在しませんでした。

この陸軍歩兵第十四連隊を、乃木希典が連隊長心得として率いて西南戦争に従軍しました。
乃木希典居住跡碑がリバーウォーク南側に、平和のまちミュージアム前に第十四連隊の碑が建っています。

乃木さんの居住宅趾

日清戦争後、北九州には立て続けに軍事施設が設置されました。
明治28年3月、門司・丸山に長谷弾薬庫、5月に門司・古城山北側を埋め立てて軍器製造所が完成、東京砲兵工廠から80名が移り、主に砲の修理、捕獲兵器の解体作業等を行いました。
続いて4月、下関要塞司令部が発足。
日清戦争で兵力の不足を痛感した軍は、徴兵令を改正、翌年、第7~第12の5個師団および騎兵2個旅団、砲兵2個旅団の増設を決定、小倉町民の一大関心事となります。

陸軍歩兵14連隊正門

小倉では2月、師団誘致委員を選んで上京させ活発に誘致運動をします。
師団を新設するとなると歩兵・騎兵・砲兵・輜重の隷下各部隊が小倉城内には入り切れないと判断、陸軍では第12師団小倉設置の内定に基づく北方の土地買収を6月から開始しました。
この時新設された第12師団の隷下部隊を鷗外さんは視察して回ったのです。

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