回想 清滝トンネルについて
清滝トンネルについて
わたしにとって特別で惹きつけられる存在の一つに
京都府道137号線にある
清滝トンネルという古いトンネルがある。
昭和初期1929年に愛宕山鉄道の鉄道線として開通。
廃線跡をそのまま車道に転用した歴史があるため、
一車線のみのバス一台がギリギリ入る狭い狭いトンネル。
3年前、2018年。
初めて愛宕山へ行くためにここを通った。
京都の心霊スポットであるため、通る前はビビって
仕方なくどうしても通りたくなかった。
それでも通らなければならないのは、
ここを通過しないと
大好きな愛宕山へ行くことができないから。
自宅の手持ちの原付きバイクで
ヒュッと通れてしまうがなんせビビりなものだから、
最初はバスで行くことにした。
正直未だにこのトンネルの暗闇が怖い。
清滝トンネルは何度か通るがそのたびに違う感情を抱く。
今から書くのはここのトンネルを通ったときに
肌で感じた、不思議な感覚について。
清滝トンネルの天井のライトは一つ一つの間隔が大きく、
光に照らされたのも束の間、
トンネルがカーブ状になっているためか、
すぐさま先の見えない暗闇に包まれ、
その奥深い闇に身がすくむ。
スッと冷めた空気と、
トンネルの密閉されたような圧縮されたような空間。
それは、すべての空気が尖って刺すようかと思えば、
瞬時に暗闇があたたかくも恐ろしい空気で私を包む。
互いに異質のものが交互に襲ってくる肌感覚。
ものすごく怖いと感じるのだけれども、
何故かそれがすごく心地良い。
あの世とこの世の境であるかのような
まるで瞑想しているような、
別の世界があるように感じた。
嵯峨野「愛宕」という土地の名前の由来について
昔は「化野」と呼ばれ、昔の死体収容場だった。
「〜野」がつく地名はそういった意味も含む。
当時、火葬は身分の高い者しかできなかったため、
平民たちは、死後、肉体を野にさらされていた。
そういったことも知っていたからだろうか、
私の勝手な思い込みかもしれないが
最初にここを通ったときに
愛宕山へお参りする人々、
当時の飢餓や戦争で亡くなった人々、
祈りや希望、悲しみや喜びも諸々背負って
参道へ向かう人のことを想像すると
涙が止まらなくなってしまった。
なぜか愛宕山が目的地のように感じたのは
山の神が魂を呼んでいるからだろうか。
「ここは、祈りの道なのだ」
トンネルを通じて
愛宕山へ通じる参道について感じ、
そう確信のような言葉が頭上に貫いた。
清滝トンネルだから、感じるのか、
その土地の一部だからそう感じたのかわからない。
しかし、そう感じざる得ないような
不思議な空間であることは確かだった。
それが、私が清滝トンネルで感じたこと。
yama utau
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