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息吹

つい昨年ごろにメモしていた、テッド・チャンの小説「息吹」の言葉の一部を再度読んでみた。

「空気は生命の源ではない。ーーーーーー私の望みの考えのすべてはこの宇宙のゆるやかな息吹から生まれた渦巻きであり、それ以上でも以下でもない。そしてこの偉大な息吹が終わるまで私の思考は生きつづける」

「息吹」テッド・チャン


幼い頃想像したこと、をふと思い出す。
もしかして自分は地球人ではないかもしれないということ。
そしてこの地球の他に宇宙にはたくさんの生き物が存在していて、
地球よりももっと大きい生き物がこの世界にはいるのであろうということ。

狭い押し入れの中、小さな私は目を瞑り想像してみる。
地球からどんどん離れていく自分の身体。あんなに大きかった地球が遠く小さくなっていく姿。
太陽暦の遥か外へ出たら、地球はどこかの惑星にとったら星屑であり、または存在はしているが見えないような星の一部。
もしかしたら、どこかの宇宙人が水槽か虫かごで飼っている「惑星ペット」なるもので、狭い空間にふわふわと浮かんでいる可愛らしい生き物なのかもしれないし、ただ実験のために作られた宇宙人にとっては短時間生きていただけの存在なのかもしれない。


あれから20数年経った私は窓の外にある木々が風に揺れている姿をみていた。
なんとなくこの世界、生の営みが永遠に続くようには思えないのだが、そもそも永遠とはなんなのかいまだにはっきりとは分からないのだが、
これらの生き物、私を含む命たちが姿や形を変え、時間を超えてまた別の世界の生き物として途切れなく命を繋ぐものとして生きるのであろうと感じる。

生まれ、死に、「永遠に生き続ける」というのはそういう循環とも言える大きな流れのようなものに私たちが存在するということかもしれない、とぼんやり思う。


山唄

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