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10月24日 トビリシ 生存報告

自身の事を暴露をするのは恥ずかしく、恥ずかしさを乗り越えるのはとても勇気がいる。
自分の事を知れば知るほど、いかに空っぽなのかが露見してくる。三匹の猿が目の前ではしゃいでいる。輪の中に入れてほしい気持ちで一杯。
サルたちと
あそべるのなら
いいのにな

トビリシでの生活は(僕の今の状況は)良い。まあ住めばどこも都ってことなのかと思っている。住めば、何だかんだで色々と街の便利を知り始める。クタイシが好きだが、トビリシも、今では友達もでき、知り合いも街に増え、遊ぶ人も場所も増えた。なにより、することがあるのが一番。そこで生きる意味を少しでも感じることで、ここで生きても良いかどうかのお伺いをグルジアのみんなにする勇気が少し湧く。
もちろん、最後は日本に帰れないんだもんと駄々をこねるのは定番ですが。

先輩もまた増え、よりここにいる先輩方を身近に感じている。ドイツとはまた味の違う人間関係だ。街に出れば毎日出くわすブラザーなんてのはまだ出没していない。それだけでかい街なのか。そうとも言い切れない。まず外に出ない日が多い。それでも出れば必ず会うやつは確かにいない。友達は電車で六か七駅先にいたり、まずこの街で何をして遊べばいいのか。都会は金が減っていく。公園は綺麗に整備され、警備員が掃除員がウロチョロしている。寝転がれる芝生もない。観光に力を入れてる国の首都はそうならざるを得ないのか。
それでも有難い事は、散歩が飽きないことだろうか。見るものがあるし、歩き続けれる。綺麗な街並みもちらほらとある。古い迷路のような通りを練り歩けば、すぐに迷子。

それでもドイツに居た頃も、今と同じ様に生活範囲が狭かった。今よりも狭かったかもしれない。東の野郎どもは西へ行かず。西の奴らは東へ来ない。北の奴らは静かで、南の奴らは賑やかにやってた、との話を東のおじさんから聞いた。そんな自分も東の連中と共に生きていた。

とにかく、先のことは考えるのがつらくて、考えておりませんが、今の所、丈夫に生きています。今日の飯より明日の飯を想えれば、まだ大丈夫。まだ生きれると簡単に見ています。

それでもどうすればもっと人としっかり対話できるのだろうか。
どこかに公式は転がってないのだろか。いや、それ以前に定義されていた定義がまず怪しそうだ。
胃袋に野菜と米と肉が入りました。翌朝、胃袋の中には何がありますか。
まず自分の事を話せよ。知ってもらわなければ、始まらない。自ら胃を切り裂き、空っぽの胃袋を見せつけてやれ。私は空っぽです。
そうなんです。
空っぽなんです
そうなんです。

そう。自分は胃袋が空っぽだということを知っているだろうか。胃液さえも溢れてこず、縮こまっている。人に公言して回りたい。自分の胃袋は空っぽだと。と思いはするものの、そんな勇気もなく、、、

いつかはジョージアを観光だってしてみたい。ドイツでしてこなかったから、ここでもしないだろうと予想しているが、車を持てば、できるだろうと思う。正直、旅をするなら、車より相棒の馬に乗っていきたい。大陸を風が吹くままに行ったり来たり、馬と共に流れたい。どこでまだ見ぬ相棒と出会えるのだろうか。孤独な目をした犬も一匹連れて行こう。栗毛の馬と黒い犬。そんな旅は夢のまた夢。
それより先に宇宙にサルと共へ旅立っているかもしれない。銀河の静けさは漆黒の孤独を味わえそうでぞくぞくする。手話でサルと会話しながら、宇宙食を食べるのだろうか。
食べるならカブトムシの幼虫の揚げ物か。ロックのカセットテープをウォークマンで一緒に聴けるのだろうか。モヒートの飲むゼリーもあればいいなぁ。サルとも一緒に飲めるのか。

ジョージア語の勉強も免許の勉強も人間関係についての修行も生きる修行も、色々と最近修行が足りない。周りにはどう映っているのか。猫背のガキがブツブツ文句を言っている様に見えているのだろうか。
眠る寸前、聞こえてくる蚊の高い羽音。痒みを想像させ、音が止まった瞬間、冷や汗がたれ、ビクッと体を動かす。あのイライラに似てはいないが、同じぐらいのイライラを人に与えているのだろうと思う。加え、そういう時の蚊はやけにしつこい。もう寒い寒いと言う夜でも寝床にやってくる。最後の生き残り、越冬蚊が子孫繁栄のためやってくる。幾ら自然が好きでも、血を与えることはお断りさせて頂きたい。
所詮
弱肉強食
いつまでも

それでも最近、自分一人で生きられないことをしっかり感じている。一年前、トビリシに一人で居たころは、一人でも平気だったが(それでもかなりつまらなかった)、今では誰か人が居ないと、何もやる気がない。やることもやりたいこともない。最近、ジョージアでは帰国ラッシュに入りかけており、このままではまた独りで生きて行かなくてはならなくなる。またそうなるのは御勘弁してほしい。孤独も良いが、今は月に一週間位で十分。共にこれからも生きてもいいですか。とはいえ、自分も人に死ねと言われて死ぬほど、低く考えているわけではないですが。一応、確認までに。。。
可か不可か
訊ねはすれど
生きて行く
生きねばならぬ
訳が今はある(少しだけ)


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