Yamamato_tomato@ジョージア修行中

修行中です。記憶の一環として文章を書いています。 今現在、ジョージアにて皆が集える場所、UZUHouseを作ってます。

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最近の記事

サヨナラ・ハジメマシテ

別れがなぜ辛いのか。 今生の別れなのだろうか。ネットでいつでもどこでも、ネットを持ってる人誰とでも繋がれる時代に、死以外で今生の別れがあるのだろうか。それでもなぜ今生の別れのように感じ寂しいのだろうか。 共有した感覚や時間や共に行った場所での記憶、思い出が心を痛めるのだろうか。やけに生々しく喪失感を感じるからだろうか。それでもこの時代に於いて何か相手に伝えるべきであるのだろうか。今更何か言いたいことあるだろうか。そうやって強がって後々後悔するのは自分が一番よく知っている。 別

    • クタイシ一服旅

      クタイシにこの前四日か五日間程、ゆっくりしてきた。 その時の忘備録である。 四月二日土曜日 朝八時に目を覚まして、家を出る準備を済ます。十時頃に共に行くカナの家まで行く。 先日、何故か予告なしに路線バスが少なくなった。表記はすべて三百以上。いったいどこへ行くのやら。 何とか、バスを乗り継ぎ家の前に到着。降りてくるのを待つ間、ビールを買いにマーケットに入る。 キャッシャーの前でおばあちゃんがまごついている。缶ビール二本買うだけに入ったマーケットを出る時は十五分後だった。おばあ

      • 週記 二週目

        四月十二日 月曜日 今日は辞書を買いにトビリシの自由大学まで出向いた。カンさんに連れ立ってもらい、辞書を売っている教授さんを訪問した。教授さんはジョージア人で日本語を教えてる。この辞書があれば、もっとジョージア語が頭になじむと思われる。 高校中退した自分にとって、大学はとても興味が湧く。 十時頃に出発し、バスを乗り継ぎ、一時間。トビリシの端までバスに揺られる。 私立大学の自由大学は、とても綺麗で新しい。年に7000ラリの学費。対面授業が最近始まったらしく、若い子達が楽しそうに

        • 週記1

          四月五日、月曜日 健さんがとうとう日本に帰った。UZUには自分とマティだけ。 見送りから帰ってきた朝の八時、白く明るい部屋で横たわると空のベットが居なくなった事をより一層感じさせる。一年弱、一緒の部屋で寝ていたのかと思うとまた感慨深い。 居なくなる前に、やっぱり一度、ゆっくり話すべきだったと後悔もしたが、常に喋ってきたし、色々見聞きしてた事を、もう一度反芻する瞬間が多々。 目を覚ましたのは3時。目を覚ましトイレに行くと庭が少し広く感じた。 目をこすって、よく見ると、バーカ

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        • 渦の家 週記
          2本
        • ジョージア 日誌
          0本

        記事

          zzz

          どこにでもある地理的恩恵。ドイツの頃は良かったと嘆くがドイツにしか留まれなくなる選択肢の狭さは悲しく思う。あいつが一つ隣駅で乗ってくるあの子とようやく付き合いだした。そして三駅後ろのアベックは別れた。 結局地球のどこに行っても、争い絶えず、色恋多く、周りが追い求めるのは金。で、そこに何があるのか。果たして何人知っているのだろうか。と近所の兄さんが言っていた。 その先に何も無いことぐらい誰もが知っている。誰もが理解している。でもなぜ、馬鹿げたことに突っ走るのか。人間は愚かなもの

          10月24日 トビリシ 生存報告

          自身の事を暴露をするのは恥ずかしく、恥ずかしさを乗り越えるのはとても勇気がいる。 自分の事を知れば知るほど、いかに空っぽなのかが露見してくる。三匹の猿が目の前ではしゃいでいる。輪の中に入れてほしい気持ちで一杯。 サルたちと あそべるのなら いいのにな トビリシでの生活は(僕の今の状況は)良い。まあ住めばどこも都ってことなのかと思っている。住めば、何だかんだで色々と街の便利を知り始める。クタイシが好きだが、トビリシも、今では友達もでき、知り合いも街に増え、遊ぶ人も場所も増えた

          10月24日 トビリシ 生存報告

          まだまだ暑く、熟塾。

          残暑。まだまだ暑い九月五日。 まだまだ自分は遊びたがっているということを最近、感じている。 夜中は目が冴えるし、体もうずうずしてくる。 とはいえ、クラブに繰り出したいわけでもなく、只々人気の無い夏の夜を練り歩くだけ。 ここトビリシは夏の間、どこのクラブも空いておらず、皆バトゥミにバカンスに行ってしまう。そこらのクラブもバカンスを追いかけ、出張する。 とういうことでトビリシに人が居なかった。それはそれで静かな時間が流れ、綺麗ではあった。 自分が今住んでる辺りの旧市街地のお昼はと

          解放された者

          題名にもある通り、そうです、私が隔離から解放された者、大和です。 日曜日、雨、七時。 木曜日の十四時には解放され、ホテルを追い出される。ホテルの隔離代のお会計を済ませ、バイバイと見送られる。約十二日間の隔離を終える。正直、毎日の記憶なんてなく、だいたいこの時間は何をしてたな、みたいな記憶しかない。毎日楽しみにしていたご飯も隔離中盤ごろから、次第に食欲をなくし、残すことが多くなり、あまり食えなくなっていたし、実は最初から最後まで、下痢だった。 途中からは、飯を食べた後には、腹を

          ジョージア隔離生活 六日目

          隔離生活、六日目。 実際に日がどれだけ経ったのか、ちゃんと計算してみると、九日目になる。 たったの一週間で、既に弱っている自分に驚いている。精神は至って正常。 実はジョージアにたどり着いてからというもの、ずっと下痢だったのが、一昨日から急激に痛みを伴うようになり、食欲もほとんどなかった。食べてもすぐに流れ出てしまう下痢で、嫌になりご飯を食わずにいると体力がどんどん落ちていき、昨日は一日寝ていた。 昨日の夢も面白い夢だった。 憶えているのは、最後だけだが、コンビニにお弁当を買

          ジョージア隔離生活 六日目

          ジョージア隔離生活 五日目

          目を開けても、身体も頭も覚め切らない十六時。金曜日、隔離五日目。 あと九回寝れば、ここから出れるぞ、と自分を励まし、何とか机の前に向かうが、何をするにも力が入らず、目の前のA4コピー紙は白紙のまま。 何がこの状況を助けてくれるのかと、辺りを探るが、この部屋に役立ちそうなものは無く、仕方がなく昨日の吸いかけの煙草に火をつける。不味くてすぐに捨ててしまう。 シャワーも浴びた。浴びた直後は目が開く。でも椅子に座り五分もすれば瞼が重い。腰の辺りも怠そうだ。砂糖が助けてくれるかもと取っ

          ジョージア隔離生活 五日目

          ジョージア隔離生活 四日目

          トビリシの朝は綺麗だ。山々が朝日を浴びて、遠くの山のうねりまでよく見える。 その麓に見える街。古き面影を残す山。昔はもっと綺麗に幻想的に見えた事だろう。 徹夜明け、八時半。目を閉じる。 隔離生活四日目、木曜日。 屋上に上がると、一人、長い髪の女が立っていた。地上二十三階建てのホテルの屋上。長い髪が風になびく。 「こんにちは」と自分は声を掛けた。女は長い髪を耳にかけながら、警戒した眼差しでこちらを見た。「こんにちは」と女は小さく返した。 世界中の意識にこびりついたウイルスのお

          ジョージア隔離生活 四日目

          ジョージア隔離生活 三日目

          隔離三日目、火曜日。 12時前。 今日は一日、ぶっ倒れていた。ベットがなんだか自分に合わない。柔らかいのも耐え難い。 朝起きてから、バキバキに凝り固まった背中が痛すぎて、気絶するように二度寝。 食欲もわかず、風邪かと怖くなったが、熱もないので大丈夫そう。 それに加え、暑いからと裸で過ごしてたお陰で、腹を壊し、その痛みが背中に移動したようにも感じる。 それに、有難いことに三食毎日食べさせてもらえる。 消化しきる前に次のご飯がやってきて、私のお腹は常にパンパンである。 夜中に侘

          ジョージア隔離生活 三日目

          ジョージア隔離生活 二日目

          隔離二日目、月曜日。 実はいまさら言うのも恥ずかしい事なのだが、歯ブラシを持ってきていない。 ホテルにあるだろぐらいの気持ちで、のこのこと引っ張られて来たが、どこにもなかった。 朝十時には目を覚ました。廊下から防護服をシャカシャカと鳴らす音が聞こえる。ご飯がもらえるのかと思い、テンションが上がっている自分がいる。実は断食でもして、精神を鍛えようと思っていたのだが、もらえるものは食っておかねば、申し訳なく思い、毎度食べている。 とはいえ、二日目。とはいえ、もう既に一万から二万は

          ジョージア隔離生活 二日目

          ジョージア隔離生活 一日目

          ここはグルジアのホテルの地上二十階の一部屋に隔離されている。 大きなベットに柔らかいバスタオル。ルームサービスのメニューを手渡されるが、そんなお金もなく、明日からまたどう日々を生き抜いていけばいいのか。 ただただ隔離されるわけでもなさそうで、毎日チェックにでも来るのだろうか。 とりあえず、なんとかジョージアには入れた、ご飯も食べた、シャワーも済ませた。後は寝るだけ。 ダブルベットに一人で寝転ぶ。いつもの癖なのか、ベットの端っこが一番寝心地がいい。というか、床でいい。 調べたの

          ジョージア隔離生活 一日目

          ヤマト2

          ヨガを始めたブルーノとヤマト。ポーズ三つか四つ目の時。 「駄目だ、今日はもうやる気がでないし、それにおなかが空っぽだ」とブルーノ。「今すぐ食べに行こう」 「そうしよう」ヤマトは即答したが、内臓、特に胃から腸にかけてが未だに怠くて鬱陶しかった。日本の家の道路を挟んだ、対岸にはベガーンレストランとケバブ屋が住宅を挟み、並んでいる。 三か月前にゆっくりとコロナと共に始まったベガーンレストランに二日前に出来たケバブ屋。その中間に位置する日本の家。このブロックもまた人が集まる場所になる

          ヤマト1

          ヤマトは辛いポテチの上の赤い粉でむせていた。むせながら昨日のお昼にも辛いもの食べておしりもやけどだった事を思い返していた。時間は朝の五時。 寝ようかどうか悩んでいた。昨日からまた規制が緩くなったらしい事をいつかにどこかで聞いたことがあった。確かなのはドイツに外国人が入国出来るようになったとか何とか。 そんな中、突然、おなかが急にぎゅるるると不吉に唸りだした。弱った胃袋がポテチの粉に抗議している。ヤマトは急いで布団に潜り込み、母の子宮に戻るかの如く丸くなる。キリキリと腸を響き渡