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週記 二週目


四月十二日 月曜日
今日は辞書を買いにトビリシの自由大学まで出向いた。カンさんに連れ立ってもらい、辞書を売っている教授さんを訪問した。教授さんはジョージア人で日本語を教えてる。この辞書があれば、もっとジョージア語が頭になじむと思われる。
高校中退した自分にとって、大学はとても興味が湧く。
十時頃に出発し、バスを乗り継ぎ、一時間。トビリシの端までバスに揺られる。
私立大学の自由大学は、とても綺麗で新しい。年に7000ラリの学費。対面授業が最近始まったらしく、若い子達が楽しそうに大学構内を移動している。傍から眺める自分は間違った場所にきてしまったと感じた。学校は消極的な考えを呼び戻す。


綺麗な校舎に実験室に大きな図書室。中庭に学食にペットショップ。バスを降りるとカンさんの友達とばったり出会う。彼女に校内を案内してもらい、一通り見せてもらった。アジア二人は、やはり珍しいのか注目は常に集めた。
辞書を受け取り、教授さんに挨拶し、学食を食べ、珈琲を飲み、またバスで家に帰った。
学食はやはりパンばかりでつまらなかった。日本の種類の多さに比べると雲泥の差だった。ちょうど電気が止まっており、暗かった。

バスで帰る途中、知り合いから連絡が入り、Zedazeniというビール会社のコマーシャルに観光客のモデルとして出ないかとの誘いを受け、カンさんと共に出ることに。モデルの仕事は金曜日とのことだった。

地下鉄でカンさんと別れ、自分は家に帰り、日本に送らなければならなかった荷物を送る為、色々と動いた。結局、郵便局には行けなかった。今日はちょうどゾノさんの家で豆腐ともやしと納豆を受け取らなければならなかったのとそのまま宴会になるのが常だったので、ちょっと早めに行きたかった。追加で送る物を買い揃え、五時半にはゾノさんの家に向かう。
開いた窓から日本の音楽があふれ出している。古い傾いた階段を上ると、ドアまでもが全開。
夏仕様の解放バージョンということだった。皆楽しそうに飲んでいた。八時頃に皆帰っていき、残ったのはゾノさん、ノゾさん、自分。夜中まで飲み通し、自分はゾノさん家にお泊りさせて頂いた。

火曜日
朝十時には目を覚まし、お昼ご飯をご馳走になる。豚キムチ鍋に米と納豆。ゾノさんの料理は何でも美味しい。中華の流れをゾノさんから感じる。中国の田舎に住んでいたり、台湾に住んでいたりしたそうだ。
出来るだけ掃除をし、十二時前には家に帰る。今日は雨が降りそうな天気だった。そう言えば、昨日の晩は雷が沢山唸っていた。曇りの天気の中、家に帰り、送り損ねた荷物を郵便局へ持っていく。それでも、雨やらなんやらで、持って行ったのは四時頃。家に帰り、本を読む。「暇と退屈の論理学」という本。
健さんが帰られてから時間が圧倒的に増えた。聞ける話も大分変わった。話す事は増えた様に思う。それでも説明下手がまたネックで、それでも健さんが居た時も全然面白く話を出来なかった。求める事が人によって違うとは思うけども。

退屈かと訊かれれば、退屈ではない。暇かと訊かれても暇ではない。やることはいっぱいある。お金だって考えないといけない。健さんにばかり頼ってばかりではいけない。自分も半歩後ろから支えれるぐらいには自分をしっかりさせたい。

そして、夜は久しぶりに彼女の家に泊まった。彼女はイタリア人のフェデとロシア人のサシャと一緒に住んでいる。家にはフェデと彼女のタムとその友達、サシャにそして、フェデの犬三匹。フェデと彼女達は夜通しで会議。サシャとペガと自分は、それを傍から見聞させてもらう。フェデが先日作ったアプリケーションが予算の都合上却下になり、新たにもっと安く仕上がるアプリの案を出し合っていた。フェデは見るからに乗り気ではない。やはり、消費されるようなアプリばかりの案で退屈そうだ。
二時、三時まで続き、外巻きの自分達は酔ってふらふらだった。それでも、答えは決まったようで、三時には終了した。

今日は頭の中で考えが浮かびは消えて、何も口に出せない日だった。言葉に自分の考えや思いを変換すると、その表現は全く自分の考えに当てはまらないような事が続き、口をつぐんだ一日だった。思考がぐるぐる巡り、自分さえ最後は見えなかった。何もわからなかった。

水曜日
朝八時には目を覚ました。マティのおかげだ。彼女も起きてきて、今からどうしようかと話す。今日は仕事にいつもより遅い時間に行くとのことだった。二か月前から、一緒に温泉行こうという話をしていた。今日も行く行かないの議論をした結果、行くことに。

お風呂は予想外にかなり熱かった。ジョージアの温泉はぬるいで通っていた為、意外と熱く途中からのぼせて倒れていた。
一時間程、お風呂で遊び、彼女の仕事場に行く。植物園の入り口近くのカフェで働いている。
朝ごはん食べて、滝を見に行き、家に帰った。
その後、何を今日はしようかと考えながら、月曜日に買ってきた辞書をパラパラめくっているうちに眠っていた。

夜中、目を覚ますと、ラッキーストライクの煙草が一本、辞書の上に。アイコが来た様だ。
マティと少し話をし、ナバさんと明日のイベントについて、相談し、また眠った。

木曜日
今日はイベントの日だった。毎週木曜日と土曜日。木曜日はナバさんに毎度頼らせていただいている。今日はFacebookでのイベントは作らず、静かにやるつもりだった。ナバさんと中濃ソースを四リットルほど作り、そのソースで焼きそばを作った。ソースは相変わらずの好評で、ナバさんの凄さを毎度体感している。

人は告知をしていないにも関わらず、十五人から二十人ぐらいは来るようになってきている。毎回新しい人と知合えている。人伝で場所が辺りに知れ渡ってきた。とても嬉しい兆候だ。
締まりが悪いとはいえ、人も多過ぎず、少な過ぎずでちょうどいい感じだった。

イベント終わり、渡さんとペガ、マティで飲んでいた時、音楽の事でペガとマティが喧嘩しだす。いつかするだろうとは見当がついていた。ペガは怒り出すと人の話を聞かない。そんな中、渡さんが仲裁に入る。年の功か、二人共彼の話を耳を傾けていた。両方の意見をまとめ、落としどころを見つける。ある程度すると、雰囲気も和み、渡さんの人間力に感動した。

その後、渡さんと三時まで飲みながら話して、一日終わり。

金曜日
今日はクルさんの家にお泊りに行った。
朝十一時には渡さんも帰り、マティさんも図書館に向かった。五時まで家のことをし、和さんの家に行く。

クルさんの家はルスタベリとヴァケの間のヴェラにある。遊びに行くと今日何食べたいかと会話が始まり、一緒に買い物行くことに。一週間分の買い物を済まし、今日の晩御飯は、エビカレーと豚カツということに。
クルさんは秀才の天才肌。頭の回転が速い。実際、どれ程賢いのか、分からないけど、彼なりのやる事成す事、上手く計算されてるように見える。それでも、最後に結論を出すなら努力家ということ。一人で考えて頑張ってきたのが一番よく見える。

そしてクルさんはまたエロい。フェロモンが背中や肩辺りからあふれ出ている。
カレーの作り方から色々と教えてもらい、お風呂にも入らせてもらい、夜通し話し込んだ。

土曜日
朝十一時には起き上がり、ステスクに向かう。今日はUZUでカレーを作ろうと思っている。ベジタブルカレー。こういう時は、取り敢えず、色んな野菜を買い集め、取り敢えず、鍋にぶち込んで煮込むと考えていた。肉に頼らない料理は色々と難しい。肉の旨味を使えない料理は、どうしても味に深みが出ない。
それでも、野菜をたくさん入れたカレーは思いのほか美味しかった。意外と好評で直ぐにカレーは売り切れた。
今日のイベントの始まりは穏やかだった。人が何人か集まり始め、みんなで野菜を切った。ドイツでいつもやっていた様に。カレーの元を昨日、クルさんから習った通り作り、煮込んだ野菜に全て放り込み、混ぜ合わせ、味付けし、食べた。米が最後は少なかった。米の料理の時は一杯作らないといけないのが大変だ。
最近、イスラエルから来た家族と知り合った。お母さんは大学教授で娘さんは14歳。お父さんは酒飲み。
娘さんがとても良く手伝ってくれる。率先して、皿洗いから料理の手伝いまで何でも手伝ってくれる。とても助かっている。名前はシャニ。あとその時、フランス人も居たと思う。その他は飲み続けていた。
渡さんが火を起こし、カレーを煮込むこと一時間、最後の味付けでみんなで意見が割れたが、美味しく出来上がった。
コンというロシアとドイツのハーフの男の子も手伝ってくれた。いい子だ。
今日は子供が多かった。子供がUZUの庭で鬼ごっこしている様を眺めるのはとても嬉しかった。子供は空気を軽くしてくれる。わんぱくで二階にも登り、自分は子供達が怪我をしないか、ひやひやしてた。
新しい人もやはり見えた。今回は簡単な料理だったから、色んな人と話せた。
自分の役目は、やはり外回り。人に関わっていかないとここに居る意味を見失う。
終わり、渡さんと反省会をしようと話した。今日は実はビール会社のコマーシャルに出ることになっていた。渡さんとマティにUZUをお願いし、自分はタクシーで現場に向かう。
カンさんがそこでは待っており、共に日本人の観光客として出る。日を跨ぎ撮影が終わったのは朝の二時。バイト代を受け取り、カンさんと共にそこで出来た友達の家に遊びに行く。名はサンド。家に遊びに行き、音楽を聴き、サンドイッチを作り、アニメを一緒に鑑賞し、五時には寝た。

日曜日
朝十時には目を覚まし、サンドの家を片付ける。それにしても芸術家らしい部屋だった。元々お母さんの持ち部屋らしい。お母さんも音楽家で彼もまたジャズバンドをやっているそうだ。
バルコニーがまた広くて、座り心地が良かった。
十一時には彼の家を出発し、UZUに向かう。渡さんに連絡を入れると、ハチャプリを買ってきてくれとの事。ハチャプリを携えて、留守番をしていてくれた渡さんにハチャプリを献上する。少しして帰っていく渡さん。いつも渡さんの優しさに助けられている。
そして一時には、シャニの家に遊びに行く。勿論カンさんも一緒だ。
お母さんのリタさんがラーメンを作ったらしく、その味を見学させていただいた。ネットで得た情報でスープからチャーシューまで作ったそうな。
家に入ると、ワインで出迎えられる。お父さんがワイン好きで、良いワインをよく飲んでいる。ワインを二杯程飲んだ後、遂にラーメンを食べる。無論自分のラーメンの方が旨いがここまで作って、お招きして下さった事はとても有難いと思った。

皆でラーメンを食べ、自分たち二人はおかわりまでずずずと頂く。
その後、エスプレッソを頂き、UZUの話をする。ドイツから始まったことや、日本にも今はあること。今のUZUの状況を聞いてもらう。リタさん曰く、彼女は音楽家を沢山知っているそうで、連れてきてくれるそうだ。もっとしっかりした人をUZUで捕まえた方が良いわよと、的確なアドバイスをいただいた。

シャニは騎馬の練習に、リタさんとお父さんは何処かへお出かけに向かい、自分達はお腹を抱え、辺りを歩いた。家の近くで、このまま通り過ぎて何処か行くか、家に帰るか、相談していると、雷が鳴り始め、家に帰ることにする。家に帰る途中、ゾノさんとノゾさんが雨宿りしている所に出くわす。UZUに遊びに来てくれていたようで、でも留守ということで帰ろうかと話していたところだった。

是非是非寄って行ってくださいとお願いし、UZUに連れていく。
中に入り、早速ワインを空ける。三時頃。
ゾノさんとノゾさんは自分の中で最近、面白い大人と分類されており、話す言葉や反応が興味深い。
結局、今日は皆で八時半まで飲み続けた。その間、手持ちの野菜や缶詰でつまみを作り続けた。カンさんは盛大に酔い、声が大きかった。ゾノさんとカンさんはコンビを結成したらしいが、するのだろうか。
ジョージア日本人会の話もし、UZUの話もし、健さんが居なくなって二週間の話もした。とにかく健さんがいなくなっても、こうして遊びに来てもらえることが自分は嬉しかった。
カンさんはゾノさん達を引き留め、泊まって行きましょうよ!と声を張っていた。

九時になり、カンさんはぶっ倒れ、自分も布団に倒れ込んだ。
二週間目


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