どこにでもある地理的恩恵。ドイツの頃は良かったと嘆くがドイツにしか留まれなくなる選択肢の狭さは悲しく思う。あいつが一つ隣駅で乗ってくるあの子とようやく付き合いだした。そして三駅後ろのアベックは別れた。
結局地球のどこに行っても、争い絶えず、色恋多く、周りが追い求めるのは金。で、そこに何があるのか。果たして何人知っているのだろうか。と近所の兄さんが言っていた。
その先に何も無いことぐらい誰もが知っている。誰もが理解している。でもなぜ、馬鹿げたことに突っ走るのか。人間は愚かなものよ。誰かが私たちをコントロールしている。洗脳している。私たちは人形だ。
教育は洗脳だ。誰が私たちを洗脳している。私たちは、顔すらも拝めないだろう。そいつらはどこにいる。探し出して俺らと同じ苦痛を味合わせてやる。とか張り切っても結局は無意味。あなたは操られて終わりなのだから。
どこに住もうと、便利を追い求めるのは一緒。シャワーが壊れれば直すし、飯が無ければ生き物も食べる。交通の便が悪けりゃ、不満もたまる。
暖かい布団に屋根のある生活。ストーブもあれば、ほかに何がいるだろうか。
人間はそれでも贅沢な野郎どもで、パンのほかにバラも人生には必要だと言う。まあいいさ、勝手に人生彩れば。てめえの人生自分で彩って見せろ。今では広告に踊らされた張りぼての彩られた人生だらけで嫌気が指している。皆もそうであるかもしれぬが、君たちも結局、自分たちで彩ることなど出来ず、最後は孤独死。人は独りで人生を楽しむことはできない。だから、誰かと傍に寄り添い合う。好きだの愛してるだの結婚だ何だである一定の人は幸せに暮らしている(今だけかもしれんが)。それはそれで良い。幸せならすべて良し。なら私の幸せはどこにある。なぜ私は私に向かって独りで私は幸せだと言わなければならないんだ。
まあ自分は一人でも幸せなので大丈夫です。結局ね。
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