【脚本構想】疫病神の子
どうも、眼珠天蚕です。約一週間ぶりのnote記事でございます。
この2月末から今朝にかけて、下記のツイートでにじませているように、家族環境的な問題でネガティブになっておりました。
この辺りの考えを、VTuber界隈でいうところの「お気持ち表明」的な記事にまとめようとも思ったのですが…先日、Twitterで目にした漫画家・荒木飛呂彦さんと荒川弘さんとの対談の要約を思い出しました。
それを踏まえて、「愚痴っぽい記事を書くよりは、この気持ちを創作活動に転化するほうが健全だな!」と思い直しましてね。脚本作品の昇華させることにしたんです。
ということで、「お気持ち表明」に代わって、今回の騒動にインスパイアされた劇作品「疫病神の子」についての構想を語りたいと思います。
ワタシが付き合いたくないヒト:「地獄の住人」と「役病神」
ワタシの声劇作品について、ありがたいことにリスナーさんから評価をいただくと、「主人公が困難に立ち向かっていく姿が好き」という声をいただきます。
この感想は、ワタシにとって最高の誉め言葉です。ワタシが物語を通して訴えたいことは、まさに「困難に立ち向かってゆく勇気の素晴らしさ」だからです。
ワタシは人間として、まだまだ若輩です。しかしながら、この浅い人生経験の中で一番心を揺さぶられる瞬間を考えると、「問題に立ち向かい、乗り越えた時の感激」です。それが人間が一番輝く瞬間なんだ、という持論があります。
この辺りの話の掘り下げは、また別の脚本構想について書くときに紹介しようと思います。
さて、今回の構想でキーになるのは、上記の考えの真逆となるタイプの人間である「地獄の住人」…その隣人である「疫病神」です。
「地獄の住人」とは、端的に言えば「奴隷の足枷自慢に熱中している人」です。彼らは自分の苦境について、常に不平不満を口にします。それを耳にした心優しい人々は、彼らの苦境に同情して助けようと手を差し伸べます。
「こうしたら助かりますよ! 私がお手伝いしますよ!」
すると、地獄の住人は喜ぶどころか、差し伸べられた手を強く弾いて拒絶します。
「なんで助けるんだよ! オレ達は苦しんでる姿を同情されているのが気持ち良いんだ! 手伝うなんて、余計なお世話だ!」
つまり、彼らにとっては「地獄は天国より心地良い」んですよね。そういう方を助けても、恨まれこそすれ、喜ばれないんですよね。そういう方々には労力を注いでも、時間の無駄になる…というのが、昨今の経験からの結論です。だから、ワタシはそういう方々とはお付き合いできないです。
一方、「疫病神」は違います。彼らは苦境から助かりたい気持ちもあるし、助けてもらうことで喜びもします。その点では、「地獄の住人」よりはお手伝いしがいがありますね。
ただし、彼らには非常に厄介な特徴があります。次々に問題を発生させることです。その理由としては、彼らが多くの問題行動を抱えている(借金癖がある、万引き癖がある…など)ということも、もちろんあります。ただ、そういう問題行動とほぼ縁がなくとも、問題を発生させることがあります。
その理由として、彼らが事実を曲解する、ということです。彼らは明確に問題の解決方法を尋ねてきますので、ワタシたちは解決方法を提示します。それに対して、彼らは「うんうん」と素直に受け入れるように見えます。
しかし、実際には彼らはワタシ達の言葉を文面通りに受け取りません。彼らは独特の思考回路で解釈し、奇妙な具体的行動を取ります。奇妙な行動が正常な感覚に受け入れられるはずがありませんから、トラブルの引き金になります。そして、新しい問題が発生します。
この新しい問題を得た「疫病神」は、ワタシたちにまた解決方法を求めてきます。
しかも、解決できなかった不備に関しては、我々に非を認めさせようと躍起になります。
これが延々と続くので、ワタシたちは疲れてしまいます。
この「疫病神」が、昨今ワタシを気に病んだ事象の原因です。
「疫病神」の子供はどうなる?
ワタシが「疫病神」に対して抱いたモヤモヤとした気持ち。それとどう向き合うべきかと考えた挙句、思い至ったのが先に引用した荒木飛呂彦さん・荒川弘さんの対談でした。
そこで、ワタシも想いを創作作品にぶつけることにしました。
ワタシが接した「疫病神」は夫婦であり、子供がいます。ただし、子供はまだ「疫病神」になっていないと思います…少なくとも、ワタシはこの子に対して悪い印象は持っていません。
夫婦はおそらく、ワタシが何か働きかけたとしても、「疫病神」気質は絶対に変わらないでしょう。よく言われるように、「過去と他人は変えられない」からです。
だから、ワタシはこの夫婦とは遠い距離を持とうと思います。残念ながら肉親のため、どうしても連絡しなければならない事はあるでしょう。その時には最低限連絡は取りますが、それ以外では全くの疎遠になるつもりです。
ただ、気になるのは彼らの子供です。
この記事を読んでいる方は、「疫病神」気質の人物に対して良くない印象を抱いていると思います(「抱いてないよ!」という方は、コメントいただけると、反応する…かも?)。そんな良くない印象の人物を両親に持つ子供が、年を重ねて世の中の事象に対して判断を下せるようになった時、一体どんな考えを持つのか? どんな行動を取るのか?
そんな子供の姿を通して、家族関係の在り方や人生の困難との向き合い方を描いてみたいです。
この物語の結末は、ワタシの希望的な観測がふんだんに含まれているので、視聴者の方々および演者の方々にも賛否両論が出ると思います。
ただ、家族・肉親をはじめ、人間関係について何か考える良い機会になってくれると…ワタシとしては本望です。
物語はハッピーエンドになるか?
ワタシは衝動的にこの物語を描きたくなったので、登場人物の掘り下げは不十分です。
これには最近試みている、140字のセリフ台本を通して彼ら人格・思考のコアの部分を固めていこうと思います。
なので、物語の落としどころをどう持っていくのか? …まだ、明確ではありません。
いや、ワタシ個人が見たい結末はあります。ただ、その輪郭はまだぼんやりしているので、登場人物たちの人物像をしっかり作らないと、視聴者には納得されないですし、ワタシ自身も納得できないです。
ただ、ワタシのスタンスとして…「疫病神」が「疫病神」のままでいるなら、彼らが幸福になる結末だけはないです。
ご期待ください?
と言っていいのかどうか分かりませんが…。
今書いてるアクション台本はそろそろ書き上がりますので、それが終わった後に、精魂込めて描き上げたいと思います。
収録して公開になるのは、夏ごろになるのでは? と思いますが…。
興味がある方は、是非、ご視聴いただければと思います。