2021年お正月大河声劇動画「机上戦場に双花咲く」のご紹介
去る2021年1月2日および3日に、それぞれ前編・後編を公開しました声劇動画「机上戦場に双花咲く」。当演目の楽しみ方と魅力について、作者であるワタシ・眼珠天蚕が紹介いたます。
本編動画
【前編】
【後編】
出演いただいた演者様
※お名前の昇順で紹介させていただきます。
兎と魔王様:ダファール役
陰光猫目様:ベルド役
鹿仲茉菜様:チェルシー役
黒豆コロッセオ様:マテウス役
しき様:コーネリア役
忍音ニコ様:ソフィア役
ファルトゥナHLs,アイラ・Seraph様:ランスロット約
レナード・ジン様:シグルド役
原作台本
※眼珠天蚕(=ワタシ)書き下しのオリジナル劇作品です。
当作品の誕生秘話
この作品は、出演いただいた忍音ニコさんとのTwitter上での会話がきかっけで誕生しました。
「ニコさんは聖女のようだ」という話題を出した際に、「ニコさんを聖女役にして、イケてる男子たちと共に問題を打開する演目を作ります」とお約束したのです。
この会話が2019年の秋ごろ(だったと思います…)だったので、それから随分と時間が経ってしまいました。しかし「約束を反故にしたくない!」という気持ちが大きく、数度の声劇の主催を経て力が付いた2020年の終わり頃、満を持して当作品の脚本を執筆しました。
当初の目論見は、前述から分かる通り、乙女ゲーム的なお話の具現化でした。動画として公開した現在においても、「イケてる男子に囲まれるヒロイン」「ライバルとなる悪役令嬢の存在」など、構想は引き継がれています。
しかしながら、この作品…乙女ゲーム的な「女性にロマンチックな夢を与える」というコンセンプトとは異なる作品になっております。そもそもとして、明示的な恋愛要素がありません(汗)
一歩を踏み出す勇気の話
この物語は「ロマンチック」よりも「勇気」をテーマにした作品になっています。
元々「前向きさ」を創作の核に据えているワタシは、主人公である聖女ソフィアは勿論、彼女以下の全ての登場人物に「それぞれが目指す幸せな結末」を設定しています。登場人物は「幸せな結末」に向かい、その実現を阻む「障害」を乗り越えてゆく…その過程を「物語」としてリスナー様に楽しんでもらうワケですね。
この「幸せな結末」は、主人公が属する聖王教会側は勿論、彼らと対立する帝国側にも設定してあります。
帝国側のキャラクターが主人公たちと対立するのは、彼らの「幸せな結末」を手に入れるためであり、主人公たちは乗り越えるべき「障害」なワケです。彼らにだって「幸せ」になる権利はあるし、だからこそ物語の中で彼らは必死に行動します。
帝国側の中核である第五皇女コーネリアが目指す「幸せな結末」は、最も重要な要素の一つです。乙女ゲームでならば「悪役令嬢」として扱われるであろう彼女が、聖女ソフィアと対立する理由は何か。学園ものならば、ヒロインに夢中になっている意中の男性を手に入れるため、ヒロインを排除しようと試みる…で十分なんですが…。今回は学園ものではないし、そもそもヒロインと同じ組織に属していません。それどころか、アウェーであるヒロインの本拠地にわざわざ乗り込み、対決を仕掛けています。「彼氏が欲しい」程度の生半可な覚悟ではありません。
そんなコーネリアが目指す「幸せ結末」とは何か。考えた末に「愛する自国の変革」という大望を掲げさせたワケですが…これが物語の方向性に甚大な影響を与えました。
自国に根付く封建的で男尊女卑な文化を厭いながらも、国を愛するがゆえに不貞腐れて我慢することも逃避することもなく、真向から変革に臨むコーネリア! …なんという「勇気」でしょうか! 「野心家」と言い捨てるには余りにも輝かしい志です!
この設定が出来た瞬間、コーネリアは「影のヒロイン」としての座を得ると同時に、物語の登場人物全員のハードルが上がりました。彼女の大志に匹敵する「幸せの結末」を抱かなくては、彼女とつり合いが取れないからです。
ゆえに、彼らは全員、「勇気」を持たなくては絶対に乗り越えられないような難題を抱えることになりました。特に聖王教会側の登場人物はコーネリアに勝つために、難題に真向から取り組まなくてはなりません。彼らの言動一つ一つに重みが出るようになりました。
彼らが悩み、憤り、歯噛みした結果、やっと掴み取った「選択肢」…それは彼らの「勇気」が濃縮された結晶です。その結晶の輝きがあってこそ、爽やかなラストシーンを実現できたと自負しています。
当作品のジェンダー論?
当作品内では、特に帝国の将軍「ベルド」を通して、男尊女卑的な世界の風潮が表現されています。
この描写から「今回の作品のテーマにはジェンダー論が含まれているのだな」と感じるリスナー様が居ると存じますが…申し訳ありません、これは「たまたまの産物」です。
今回は主人公が女性であり、かつ、中世ヨーロッパ的な世界観であるため、「男尊女卑」を主人公の障害の一環として描きやすかったから採用した…という事情に過ぎません。
「聖女ソフィアや皇女コーネリアが、大望のために奮闘する」という姿は、女性のみならず、全ての人々に対する「不遇な立場にあろうとも、努力を重ね、信頼できる仲間の協力を得ることで、夢へと近づくことが出来る」というメッセージを込めた…つもりです。
登場人物全員が主人公
先に「コーネリアが影のヒロインとしての座を得たことで、登場人物全員のハードルが上がった」と語りました。この結果、本演目の登場人物は誰もが主人公となり得る、非常に濃密な作品となりました。
立ち絵がある女性陣に目が行きがちですが、男性陣もまた、強烈な個性を有して物語をしっかりと彩ってくれます。
感情的になりやすいランスロットと、飄々としたシグルドの対比。ソフィアの参謀として、若さにそぐわぬ知性の輝きを見せるマテウス。帝国の威圧を体現したようなベルドに、物語の最後の障害として「毒」を添えるダファール。
この全ての登場人物が居たからこその、この作品の「熱」でした。
中でも個人的に想い入れがあるのは、「チェルシー」です。
彼女は執筆当初から「ドジっ子メイドと冴えた護衛の二面性」という設定を持ち、舌戦が暴力の応酬へと醜い変貌を遂げるのを止める役目を持たせていたのですが…それ以外の役割が曖昧でした。単なる「舞台の最後を彩る道具」でしかなかったのです。
何度お話を書き直しても、チェルシーという存在がモブ同然になってしまう! これでは、「モブは作らない」というワタシのポリシーに反するし、折角の面白い素材が生きない!
悩みぬいた末に、「聖王教会と帝国が対決する原因」という大役を務めることになりましたが…。この配役に至ったきっかけが、なんだか思い出せません(笑)。
ただ言えるのは、「ソフィアの使用人」として満足してしまったため、これ以上前進する必要がなくなっていたチェルシーに、困難な「課題」を与えたことでキャラクターの「深み」が出た…ということです。
「かわいい子には旅させろ」という言葉がありますが、本当にその通りですね。山谷のない人生は気楽で順風満帆かも知れませんが、同時に人生の「深み」が出ません。
現実の人生でも、「苦楽」の双方を認めて楽しむことで、深い人生を歩みたいものですね。
終わりに
当作品の登場人物に命を吹き込んでくださった演者の皆様には、本当に感謝するばかりです。
皆様、非常に卓越した演技力を持った方々でした。拙作への参加を快諾して下さった皆様には、頭が上がりません。
当作品では話の流れのみならず、表現豊かな演者様の演技も是非楽しんでいただきたいです。