起業の落とし穴。起業しても幸せになれない時。
起業して事業が軌道に乗り始めても幸せになれないそんな事があるのって信じられますか??起業したために家族や大切な人との時間を過ごすことができないくらいに忙しくなるって落とし穴にはまります。
僕もずっとそうでした…何故そんなことになるのでしょうか??
こんにちは。
船橋市場の中でタウン誌やネットニュースの編集をする会社を経営しながらイベント企画や事業立ち上げのコンサルなどをしているやまけんです。
コロナショックによる、自粛期間でnoteを書くことを始めましたが、書いていくうちに「あぁ、僕は20代の頃にこんな事に悩んでいたっけな」とか、「起業してしばらくは、こんな事を考えていたっけな」
という事を振り返るようになりました。
思いつくままに書いているので、読みにくいかもしれないですが、僕の経験した事を残しておくという行為が、これから起業を目指す若い誰かの役に立つことがあったらいいなぁと考えています。
そして、多分読むことはないと思うけど…
僕の家族へのメッセージを込めています。僕が起業したいって目標を持ってこれまでの人生を生きてきたことで、そばにいて犠牲を強いられてしまった家族に対しての感謝の気持ちも込めています。
起業して事業がうまくいくまでに必要な要素
主にこのnoteは、起業家を目指している方向けに書かせていただいています。起業家を目指している若い人は、その多くが現状の仕事も人並み以上にこなし、結果を出し続け、「自分で立ち上げたときの為に」と熱心に色々なことを学んでいきます。
僕のところに相談に来てくれる若い起業家の人たちも熱心で真面目な人がおいです。
こういう人の中でも、困難にぶつかったときに試行錯誤してゴールまでの道筋を導き出せる人は、ほぼ事業化に成功します。そこそこお金が回り始めて銀行預金が増え始めるのです。
そのあたりからバランスが崩れてくるのです…今回は事業が回り始めてからの話。
お金が回り始めてからの行動がキーになる
僕の場合は、最初「上場企業を作る!」と目標を掲げ、大きな組織を作る事を目標に事業を描いていました。
その為、どんどん社員を増やしていきました。入ってくるお金はどんどん投資に回し、人を入れ、パソコンを買い、事務所を拡大していきました。人に見せつけるようにお金を使って、社員を連れ歩いて飲み歩きました。
そうして、家族と過ごす時間を削って社員の育成に時間をかけ会社の成長に全てを注ぎ込みました。
それ自体は、悪いともいいとも言えません。
事業規模を拡大することで与えられる影響も大きくなるので、その分インパクトのある仕事をやれるようになります。具体的には仕入れ値を安く設定できるようになったり、知名度が上がった分だけ営業が有利に働くようになったりと色んなメリットがあります。
実際に昭和~平成にかけての成長モデルってその形が主流でしたし、それでよかったんだと思います。また、今でもその形での成長を遂げている会社も業態もあります。
ただ、僕が今回伝えたいのは、「成功する」=「お金持ちになる」ではない場合の話。成功するに関する定義の仕方は色々とあると思うのですが、実際「起業」=「成功」ではないのです。
起業をゴールに設定してしまうと、そこで燃え尽きてしまいますが、実際は独立したり起業したり、創業したりした後にその事業を「どうやって継続していくか」というのが大切なんです。そしてそこが難しいところ。
創業や起業に関する話は別で色々としていますが、起業して、回り始めて、自分でもなんとなく「成功」というイメージが近づいて来た時の話をさせてください。
別の時にも書かせていただきましたが、事業が成功して事業が回り始めると別の事でバランスを取り始めます。僕の場合には家族の病気や従業員に起きる不幸、子どもの事故などです。いずれも、今は何事もなかったので「あの時は…」って話せますが、一歩間違っていたら大ごとになっていたような事も多いのです。
また、これ以外にも事業が上向いてきたときに陥りがちなことがあります。
「この事業は永続する!」という盲信
事業にはすべてどんな事業であっても必ず旬な時期があります。自動車産業もそろそろ業態変換を迫られていますよね。通信業界は言わずもがな。昔隆盛を誇った繊維産業なんかも…調べてみるといろんな産業が出ては消えていったのがよくわかります。
事業をするときに企業30年説というのを耳にしたことがありませんか?業界や会社が旬であるのはせいぜい30年位という話。いまは、このスパンがもっと短くって10年とか…ひどいときには5年位で流行が去っていったりします。
たとえば、タピオカドリンクの会社を起業してそれで事業を伸ばしていったら…あっという間に売り上げは上がったし、店舗の急拡大をすることはできたでしょうが、急速にしぼみます。
このように、一気に拡大しなくっても会社とか事業ってどこかのタイミングでめちゃめちゃ成長するフェーズがあって、そのタイミングで経営者は自分の力を過信します。
僕も2回ほどそんなタイミングに出会って、馬鹿なので2回とも過信して失敗しています。脇が甘くなったり、数字に無頓着になったりすれば集金の着服や横領があります。
そうでなく、事業を一所懸命に伸ばしていって気をつけていても…落とし穴があるんです…
事業家の落とし穴
事業家が陥りがちな落とし穴の一つは事業の拡大。
一人だったり夫婦で始めた事業が少し回り始めると、「少しゆっくりしたい」と自分たちの休息時間を取るためにスタッフを雇用したりします。
このスタッフの役割をしっかり決めておかないと、スタッフは雇用した日から給与が固定費として発生するのですが、売り上げに貢献できるのは仕事を覚えてから…という事業がほとんどですよね。
このスタッフに教育をしている期間の自分の人件費や奥さんの人件費の見積もりが甘くなるのです。自分の分の人件費を見積もる事は忘れませんが、その教えている時間には自分は仕事をすることができません。
また、まだ慣れていないスタッフに仕事を教えながら、それでも何かの作業をやってもらおうと考えて舞の日に準備をしていたりします。この部分で僕は膨大な仕事量を抱え、膨大な時間をかけてさらに新人の分の売上を上げるという仕事の仕方をしていました。
それでもそのスタッフが仕事を覚えて、将来にわたって会社の繁栄に寄与してくれればいいのですが、ほとんどの人は半年足らずの間にモチベーションが下がります。
僕の教育の仕方や会社の事業が悪い部分も多分にあると思われますが、一般的な起業家であれば「事業を生み出す能力」には長けていても「人に共感する能力」「人を教育する能力」などが欠けている場合があるんです。
そして、その事実に気がつかないんです。
事業がうまく回り始めているので、自分のことを天才経営者とでも勘違いしてしまいます。
言い方が悪いかも知れませんが…
僕自身が実際に過信していました。
そして能力や僕個人や事業の成長スピードを超える数の人の雇用で固定費の支払いに追われ、事業が大きくなればなるほどに忙しくなり、現場から「社長!人が足りません」と、追加雇用を求められるようになるのです。
人が増えていくので一見成長しているように感じます。決済しなきゃいけない案件も増えていき、なんかうまくいって経営者みたいな気持ちになってしまうんです…
しかしそうなると、自転車操業どころの話ではなく、見た目の事業拡大が起きていても利益が追い付かないところまで一気に走り続けることになりかねません。
そして、事業体にもよりますがその状況を打開できる抜本的な策が見つからない場合は、経営者は会社の借金の保証人になっている場合が多いので会社の閉鎖とともに家一軒建てられるくらいの多額の借金を背負って世の中から消えていくのです。
もちろん、そうならないために色々の準備をして対策を立てていくのですが、僕がみてきた社長さんたちの失敗例は皆、同じようなパターンでした。やめたくても、やめられない…
見栄や世間体…家族への説明、従業員の解雇通告。自分自身のアイデンティティへの固執。いろんなものが自分を縛っているので、借金が山のように膨れていくのを…脇に嫌な汗をかきながら毎日過ごすのです。
事業がうまくいっても不幸がある
僕が、そこそこ会社を回せていたタイミングや、一つの峠を越えて次のステップに進もうとしたときに、よく起きたのが家族や従業員の不幸。
船橋経済新聞を立ち上げたときには、まだ3歳だった次女が全身麻酔を必要とする手術をしました。
市場カフェを立ち上げて2週間ほど…お客さんの対応に慣れてきたかな?ってタイミングで長男は事故に遭いました。幸い、怪我は軽症だったのですが擦り傷からバイキンが入り1ヶ月の入院と数回の緊急手術を余儀なくされました。一時は、命の危険や、悪ければ左腕を切り落とさなければならなくなるほどの症状でした。
まいふな編集部を立ち上げたときには、2000万円の横領をされました。
もちろん、僕自身の脇の甘さもあります。
いま、同じ過ちをすることはないでしょう。しかし、同じ過ちが同じようにやってこないので避けられないのです。
うまく言葉では説明できないですが、経営者のパワーとかエネルギーの総量にはバランスがあるのだろうなと感じます。
経営者自身が、家族を大切にして、妻を大切にして、従業員との対話を増やして、事業自体が儲けるためではなく、社会の課題解決に即しているものである場合はそういう事件や事故は少ないように思われます。
また、本当に困っているときに…そういう社会の課題を解決する事業を行なっている経営者は誰かが見ていて、かならず救済してくれます。
本当に不思議なのですけどね。