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伝説の老猟師が語る命がけの闘い「羆は私の上を跳び、その勢いで沢の雪を破って川底へ落ちた…」

大正から昭和初期にかけて道東の山野を跋渉して狩猟、渓流釣り、登山、植物採集、鉱石発掘などに明け暮れた開拓者・西村武重氏。1967年に刊行された『北海の狩猟者』が文庫になりました。
発刊を記念して「標津岳の羆狩り」の話を公開します。

前列中央が西村武重氏(大正10(1921)年12月25日、武佐岳。撮影者不詳)

『北海の狩猟者 羆撃ちと山釣りに明け暮れたある開拓者の記録』(文庫判・272P 定価950円+税)2022年5月7日発売

標津岳の羆狩り

「クマ! クマ!」
 男女いりみだれたカン高い声が、突如として朝の空気をつんざいた。異常なまでの緊迫感がこもっていた。
 ある朝、私は浴槽に長々と手足をのばしてつかり、湯滝の落ちるリズミカルな音をききながら瞑想にふけっていた。そこへ飛びこんできたのが緊張した叫び声だったわけだ。
 まもなくドタバタ、ドタバタと廊下を駈けてくる足音がし、女中のポン子がガラリッと浴室の戸をあけた。
「とうさん、クマだ!」
「なに――どこに」
「天狗岩の方だって……。勝ちゃんが来ています。とうさんにすぐ射ちにきてくださいって……。高木さんが大怪我をしたそうです」
 私はろくろくからだも拭かず、どてらを抱えてワイワイ騒いでいる玄関へ飛んでいった。
 ――これはある年の3月はじめのことである。私が養老牛温泉を経営していた頃のことだ。


 温泉近郊の山のうち、西竹山(663メートル)のそばに、安山岩が黒々と裸でつき出している大きな岩頭がある。釧路の虹別、西別川のほとりのアイヌ集落シュワンの榛幸太郎は、その岩をテコ岩だと教えてくれた。テコ岩とはどういう意味かよくわからないので聞き返すと、テク岩だという。そしてさらによく聞くと、テク岩とはつまりテング岩だと教えてくれたのだ。私がこの温泉にはじめて足をいれた大正5年のことである。
 そのテコ岩、すなわち天狗岩の近くで、目下造林事業が開始されていた。20余人の杣夫が入山し、巨木と取りくみ、伐採にあたっていたのである。
 高木という杣夫が、エゾマツの巨木を根がえした時、木が倒れると同時に大羆が出た――。羆はその巨木の根の下で冬眠していたのだ。
 羆はびっくりして飛び出し、いきなり高木をガップリとやった。高木はまったく不意打ちを喰って、びっくり仰天してひっくり返り、雪の急傾面を谷間に滑りこんでいった。
 幸いなことに、首と背中に爪跡をつけられた程度で生命に別条はなかった。沢へたたきこまれたおかげで助かったのである。
 羆は羆で、付近に働いていた山子 (杣夫)たちのおどろき叫ぶ声にこれまたおどろき、西竹山の密林のなかへと逃げ走っていった。これがその事件の発端であった。
 ――すぐ射ちに行ってくれと、勝次という青年が私をせきたてた。私がまだ行くとも行かないともいわないのに、彼は私の狩猟用のスキーを倉庫からひっぱり出してきている。もう行くものと勝手にきめてしまっているのだった。
 その年の雪の多寡にもよるが、穴ごもりの羆は、根室の山岳地方では、大体4月中旬に穴から出るのが普通である。われわれ狩猟家は、融雪期にかけて、この穴から出る足跡を発見するために、鵜の目鷹の目で毎年待機している。
 だが、3月はじめという、こんなに早く出た例はそうはなかった。おそらく、その羆はまだまだ穴から出るつもりはなかったのだろうが、伐木の響きに、これはたまらんと無我夢中で飛び出したのに違いない。
 大木の根上りの、ちょうど蛸の足のようになっている根張りのなかに冬眠する横着者の羆のあることは知っていたが、まさか、あんなところにいたとはお釈迦さまでもご存じあるまいというところだった。まったく、夢のような事実が目の前に現われたわけである。
 ――私はすでに似たような経験をもっていた。20余年前、知床半島の海別岳(1419メートル)に3月中旬にスキー登山した帰りのことである。
 薫別川の渓谷南斜面にアカダモの老大木があった。その大きな根上りの張りめぐらした根のなかに、木の根とは異った奇妙な茶褐色のものがチョッピリのぞいているのを、私はちらっと瞬間的に横目でみた。
 その時はあまり気にもとめずにスキーをとばしていたのだが、200メートルあまり一気に通り過ぎてから、待てよ……と、ふと思った。網膜に残ったあの奇妙なものが、遅ればせながら気にかかったのだ。虫が知らせるというのか、なんだかオカシイぞ……と、念のため確認しようと滑降をやめて後戻りした。
 私は根上りのなかを覗いた。
 すると、その時、太いモサモサの毛の先に大きな鋭い爪が、真向にさす西日をうけて黒光りに光った。私はわが目を疑った。よく瞳を凝らしてみると、羆の足が2本、行儀よく揃っている。正真正銘の羆の足だ。
 私は内心で、シメたと叫んだ。羆は私の近寄ったのを知ってか、知らずか、まったく動く気配はない。
 私は射撃によい足場でスキーをぬぎ、足音を忍ばせてなるべく近くへ寄っていった。アイデアルを装塡した12番二連の銃を構えながら……。
 だが、いざ射撃となると、羆の太い足だけに銃口を向けてもどうしようもない。せめて半身ぐらいまで見えなければ充分ではないのだ。対岸の下へまわって、下方から見上げれば黒の下半身は見えそうだ。しかし、羆の位置よりも下部からの射撃は、もっとも冒険とされている。羆射ちは、自分の目よりも上部に向って射つものではない――と禁じられているのだ。
 しかし、この場合は危険でも下部からでなければ絶対に射撃位置はない。幸いにも冬眠中だから大丈夫だろう……と自問自答の上、私は沢に下りて、羆の位置から30メートルばかりの距離をたもって見上げた。都合よく羆の腹部までどうにか見える。
 私は射撃の構えにと、足場を踏み固めようとやわらかい雪を踏んだ。その刹那、ドカッと腰までもぐってしまった。慌てて這いあがろうとしてもがいていた時、かすかに地響きがした。ふとなにげなく顔をあげて羆の方を見ると、すでに彼は黒いかたまりとなって、私めがけて弾丸のように襲いかかってきたのだ。ほんの一瞬の出来ごとであった。
 私のからだは腰まで雪にもぐり、上半身のほか動かすことはできない!
 そして目の前いっぱいにかぶさってとんできた巨体――私は狙う余裕もなく、無意識に銃の引金をひいた。銃口は間髪をいれずに火を吐いた。
 と、同時に、あまりにも慌てふためいたので、私はからだの重心を失い、ドッと雪のなかに倒れ、フカフカの雪中に埋ってしまった。瞬間――羆は私の埋った上を跳び越えた。
 私は必死だった。すぐに起きあがり、銃を構えて次の射撃に移ろうとした。
 だが、羆は、天に駈けたか、地にもぐったか、まったくその姿が見えない。私がせわしくあたりを見まわすと、5メートルほど下手に大穴が口をあけている。おそるおそるその穴を覗くと、渓流の音がし、川底で大羆がもがいていた。一面鮮血に染まり、断末魔のあがきであった。
 羆は私の上を跳び、その勢いで沢の雪を破って川底へ落ちたのだ。後でわかったのだが、私は襲いかかってきた黒い物体をやみくもに射っており、左右両方の銃身を一時に発射していたらしい。そして2弾とも心臓を貫いて、羆に致命傷をあたえたわけである。
 もし、私が雪のなかに倒れなかったら、一撃のもとに羆にたたきのめされていただろう。先人の伝えるように、羆の目の下から射つものではないということを、この時ほど肝に銘じたことはない。
 羆に聞いたわけではないが――大木の根上りの下に隠れて冬眠する羆は、仲間のなかでも一番のなまけ者らしい。
 普通、彼らは晩秋になると冬ごもりの穴の構築をするか、古巣へ入るのが習性である。しかし、古巣も持たず、穴も掘らず、山に雪が降ってもブラブラ歩きをやめず、ドカ降りの大雪に見舞われて慌てふためいて風倒木の下や、根上りの根のなかへ、エイッ面倒だ……ともぐりこむやつ。あるいは立ち木のウトッコ(空洞)にはいって、ノホホンときめこんでいる組がないではない。しかし、そんな具合のよい根上りやウトッコがそう沢山あるわけではない。だから、そんななまけ者の羆もそう沢山はいない。結局、十中八、九までは穴ごもりとなるわけだ。
 穴を持たないやつが、暖冬異変とか、なにかのはずみで、2月、3月に出歩くことがないではない。そいつが木の根元とか、風倒木の下で仮寝しているところへ、スキーで滑りこんだり、ぶつかったりしようものなら、それこそただごとではすまない。
 ――さて、天狗岩の羆狩りに話を戻そう。
 勝次青年にせきたてられて、私はウインチェスター15連のライフルを肩に、狩猟用のスキーで出猟した。
 大小2つの稜線を越えて逃げこんだ西竹山の密林内へ、羆の足跡追跡にうつる。
 造林人夫たちは、私のいかめしい猟装を見て、知事でも迎えるようにして迎えてくれた。それまではよかったのだが、彼らもハビロ、サッテ、大とびなど、思い思いの山子道具をかざして、10数人が応援について行こうというのだ。大きな握り飯の弁当を腰に巻きつけて、ざわめき、イキリたっているところだった。
 私はこれらの山子たちの自称応援団一行、ほんとうをいえば邪魔者たちの敬遠に、一汗も二汗もかいた。
 羆狩りに大勢がついてきたとても、なんの役にもたたない。屁のつッぱりにもなるどころか、かえって猟人の足手まといになるばかりだ。マサカリや鳶口なんかで、羆がとれるものではない。第一、大勢でドヤドヤついてこられてはたまらないのである。鋭敏な羆は数百メートル隔たっていても、こちらの雰囲気はわかる。これでは羆を追いたてるばかりで、何日汗を流して追跡したとて、追いつけるものではない。
 羆狩りは、1人か2人、コッソリと煙草の一服はおろか、咳ひとつできず、太い息さえ吐けぬくらい真剣になって忍び寄らないと、射程圏内に達することはむずかしいものである。
 愛銃ウインチェスターは、忠実にいつでも火を吐く態勢にあり、私は猟犬のごとく、全身これ耳……といった慎重そのものである。スキーのきしむ音、ストックのリングの音さえたてぬよう、物と物との接触して発するかすかな音にも注意していく。
 羆の足跡を見透し、または見きわめて、いも虫が這うように進む。何時間かかってもよいのである。たった一瞬、有効距離で羆の姿を発見すればいいのだ。
 一発勝負で決するのが、羆狩りの本領である、自信もないのにやたら遠射しては、いたずらに逃してしまうことになり、骨折り損のくたびれもうけとなるばかりである。
 それに、早春に穴から出たばかりの羆は、まだ冬眠中の四肢の目ざめが不充分だ。まして、こんどの羆は、冬眠から自然にさめたのではなく、不時の突発的事故のため、つい慌てて飛び出してしまったというシロモノである。そう遠くまで逸走する筈はなかった。
 立ち木の根上りのなかから這い出した羆を、私は、飲まず、喰わず、一服休みもせず、足にまかせて30余キロも追った。もうそこに、もうそこに……と、時間を考える余裕もなく、ただひたすらに足跡追跡に夢中であった。だが、知らぬまに日は暮れ、密林内では50メートル先の見通しも不充分となってしまった。どうやら羆はサマッケヌプリ(1062メートル)の北見側のハイマツ群落を目指していったのかもしれない。
 大勢の杣夫たちが首を長くして、いろりに大鍋をかけて(彼らは羆を獲ったら、この鍋で煮て喰うんだ……と今朝いっていた)、いまかいまかと私が羆を射止めて帰るのを待っている筈である。それを思うと淋しい気もするが、日が暮れては万事休す。一日徒労の恨みが深いが、思いきって帰途についた。
 帰途はなんの警戒心の必要もない。思う存分、スキーは緩急斜面の好スロープにエンジンをきかせ、クラストした大壁や処女樹林内の銀砂を蹴って、右に左にシュプールを描きつつ、一気に温泉へととばした。
 ――翌朝、私は今日こそは射止めずにはおくものか……と張りきった。昨夜、羆に襲われ、銃をもぎとられて、あわや、という夢を私はみた。そのこともあって、いっそう羆への闘志をたぎらせていたのだ。
 朝日にキラキラ映える樹氷花咲く密林。老樹に垂れ下ったサルオガセの氷花は特に美しい。まるで宝石のように、森のなかは満艦飾である。この宮殿のような、エゾマツ、トドマツの香ぐわしい匂いの漂う奥殿、サマッケヌプリの銀嶺をめざして、私は一路ストックをつっぱる。チプニューシュベツ川の渓谷は羆の通り道で、この方面の羆の遊び場になっていた。ひょっとしたら、そのどこかに潜んでいるかもわからないと考えた。
 私は隙のない、カンの鋭い猟人となる。15連のライフルは安全装置をはずし、いつでも立射の構えで油断なく進んだ。
 羆狩りくらい緊張を要するものはない。まかり間違えば生命をとられる。まさに生命がけの大冒険ともいえる北海道の羆狩りだ。羆との大決闘というわけである。
 この辺に羆がいそうだと思うと、それまで風上より追跡していた足跡と離れて、風下へと迂回し、向側へ先廻りの布陣となり、形勢を緻密に探らねばならない。そして、そこにいなければ、さらに大迂回を試みる。足跡を見失わぬかぎり、先行しつつ幾度も円陣の構えで追って、追って、追いまくる。時によっては人間と羆の知恵の争いとなることもある。
 猟人はカンと多年の経験の総動員で頑張りぬく。ついに羆の寝場をつきとめれば、一発必中の火蓋をきる。羆狩りは一週間かかっても、一発必中の好機をつかめば、その労は酬いられ、一弾で大体の戦果は決するわけである。そんな場合に慌てでもしようものなら、それこそ長蛇を逸し、満腔の涙を呑まねばならない。
 私は目を皿のようにして足跡を追った。だが羆は2日目にも、ついに姿をみせなかった。普通、冬眠より季節的に自然に這い出してきたものは、1日目、2日目に、こんなに遠出はしないものである。穴の周囲を徘徊しつつ足馴しをし、四肢が復調して自信がついてから、自由自在に山野渓谷を走り、わがもの顔に猛威をふるうものなのだが……。
 13日目は斜里川渓谷、標津岳の根室側からは一度も姿を見せなかった。
 ただ足跡ばかり追跡していくうち、不意に鼻をつく臭いを感じた。猟犬ならぬ猟人の私はハッとした。
 キツネだ! と、すぐにわかった。すばやく森のなかを見まわすと、40メートルばかり先に赤毛のキツネがいる。
 キツネは私を見て、5メートルばかりパッ、パッと雪を蹴って走り出したが、急に立ちどまり、後を振り向いて私を眺めている。私はすでに射程圏内にあった。急いでダブルB散弾とこめかえようとしたが、いや待て……ここでキツネを射ったため、渓谷の森林一帯に轟々と銃声が響きわたっては羆を脅すことになると考えた。
  万一、この付近に羆が寝ていようものなら、一発の銃声は「百日の説法、屁一つ」になってしまう。残念だが、この場合キツネは見逃すほかはない。運のよいやつだ……と見れば見るほど、毛並みのよい大ギツネだ。深山幽谷であまり人を見たことがないのか、珍らしそうにいつまでも私を眺めている。いまいましくてしょうがないが、首巻き一枚落したようなものだワイ……と思いなおして、私は再び羆の追跡にかかった。
 嶮しい渓谷内の大小の沢を乗り越え、上ったり、下ったり、ただただ一心不乱に羆の足跡について離れなかった。
 斜里渓谷、標津岳よりのトドマツ、エゾマツの密林内を、寝ようとして寝ず、休もうとして休まず、文字通りさまよい歩いた、斜里川の大支流、アタクチヤ川を遡行して標津岳の南斜面を頂上近くへ出て、さらに標津国有林へと大迂回の足跡を描き、もといた方向近くへ舞い戻ったわけである。
 私はこの山懐一帯を自分の庭園のように、細かく知りつくしている。だから、こんどこそという予感がしきりにした。
 標津岳の大壁直下には、トド、エゾの幼齢樹林帯があり、スキーでははいりこめないほどギッチリとからみあった3ヘクタールほどの団地林がある。そここそ、猛獣の憩いの場、安息所となる絶好の隠れ場であった。
 私の予想に狂いはなく、羆の足跡はその真中へ消えたのだ。
 私は慎重にその団地林を大きくひとまわりして偵察。羆が脱出していないことを、まず確認した。今度こそは……と、胸をふくらませながら、私は羆狩りの猟人としてのすべての知能を傾けた。20有余年間、根室原野に羆と闘い、30数頭を射止めた数々の実績を喚起して、慎重に作戦をたてた。
 まず羆狩り独特の技術を生かして、狩猟服を裏返して白色化する早変り。そして秘伝中の秘伝である、機敏、迅速、決断、沈着の四つを守り、雪中を匍匐数百メートルにおよぶのも辞さない。時間を惜しまず、雪中でも一寸刻みの荒行をやるのだ。静かに、スローモーに、1センチ、2センチと獲物に接近していく。それを私はいまやりつつあるのだ。
 ここまで追いつめれば、もはやわが懐中にあるのも同じ、袋の鼠も同然である。羆を倒すのは、もはや秒分の問題となったわけだ。私の胸は、いやがうえにも高鳴った。
 ――羆の追撃には、風下より忍び寄ることが絶対の条件であることは前述の通りだが、忍び寄るには常にからだを遮蔽する物体を小楯として進まねばならない。からだをずらさずに近寄れば、すぐ相手に看破されてしまい「ここまでおいで、甘酒進じョ」とばかり、雲をかすみと逃げられるか、それとも逆襲されてしまうのだ。
 だから猟人は、遮蔽物を次から次へと求め、一瞬の油断もなく機敏に移動しながら進むのだ。そして、ここぞ……と思うツボから目を離さない。いつ襲撃されるかもしれないからである。
 枯枝の折れる音さえもたてぬようにする。パチンとか、ポリッとか小枝が折れたり、はねかえったりしても、相手に悟られる危険があるのだ。
 大体において、羆の眼力はあまり恐るべきものではないが、鼻と耳は実に敏感なものである。羆狩りに床屋へいきたてなどで行こうものなら、頭髪のポマードやチックの匂いで、すぐに逃げられてしまう。だから、酒呑みは、なかなか羆に近づけない。まごまごしていると、猟人の裏をかかれて、まんまとやられてしまうことも少なくはないのだ。
 羆には非常に大胆なのがいる。
 それは超特大のやつで、雪中の足跡を見ただけでゾッとして、射つ気になれないような羆である。足跡の長さが45センチ、横幅27、8センチもの巨羆が、夏の川砂の上とか、雨あがりの泥土の上などを歩いていったのを見ただけで顔が蒼白になり、からだじゅうが震えだしてくる。もう、そこからは一歩も前進する勇気がなくなってしまう。
 こういう超特大の羆は、猟人が近づいていっても慌てないで、じっとこちらをにらんで動こうとはしない。300メートルぐらいになっても坐ったままだ。坐高が3メートルもあるくらいだから、立ちあがって両手を伸ばして怒れば、5、6メートルになろう。そんなやつに立ち向って、28番や30番の村田銃、または12番の二連くらいでは、心もとなくて射つ度胸はない。
 私も、一、二度、このような超特大の羆に遭遇したことがあった。だが、12番の二連アイデアルでは無力のような気がした。こいつは大砲ででもないと、うかつにかかれないと思って遂に断念したものだ。その時、300ホーランド・エンド・ホーランドのウインチェスター銃に、230グレイン弾を装塡してでもいればいざしらず、他の小銃ではとても危険で手が出せない。
 ところが、アイヌの幸太郎は、超特大のやつほど獲りやすい……と私に語った。度胸のいい彼らには、大きさなど、ものの数ではないらしい。かえって、われわれの射ちやすい中、小型の羆は、人間が怖ろしいのか、セカセカと逃げまわって射ちづらいという。
 ――私は匍匐しながら、ちょっとの油断もなく、前方から目を離さない。
 ジャングルに侵入して30メートル。めざす方向にはエゾマツの大木の風倒が黒々と見えだした。いればあの辺だな……と、私は直感した。
 急いでは事を仕損じる。きっとあそこだ……と思いながら、私は30分以上も雪の中にうずくまったままじっと正視した。猟人のカンで、羆の存在を嗅ぎだそうと考えて……。もちろん、愛銃ウインチェスター401の安全装置ははずしてあった。
 羆はすでに3日間にわたって、西竹山から標津岳、サマッケヌプリ、俣落、斜里川渓谷、そして再び標津岳へと、東西南北、縦横無尽に駈けつづけている。それに疲れて熟睡していてくれれば……と考えたり、猛獣のことだから、もはや感づいて、ひそかにこちらを凝視しているのではあるまいかという予感もしきりにする。はやまっては大変だ……と、はやる心を落ちつけた。
 こんな状態ではラチがあかない。そこで、私は風倒木まであと50メートルを少しずつ前進しはじめた。45メートル、40メートル、35メートル。私はジリッジリッと進んだ。それでも風倒木のエゾマツの枝葉ひとつ微動だにしない。
 暫時、耳と瞳を凝らして見守っていた時、わずかに一端が揺れ動いたように感じた。まさに羆だ!
 私はトドマツの大木を楯にしているのだが、腹這いのままでは敏速な行動がとりにくいのでサッと起きあがり、すぐさま銃口を向けた。すると、ほんの一瞬の後、ガウォーッと威嚇咆哮一声。羆はそこにすっくと立ちあがったのだ。
 私はためらうことなく、このおあつらえむきの標的――羆の巨体の胸めがけて、ダアーンと一弾火を吐いた。
 と、ほとんど同時に、いや、むしろそれより早いくらいに、巨羆は二度三度、ガウォーッ、ガウォーッと怒号し、森一帯を震い動かして、私めがけてドッドッ、ドッと雪を巻いてまっしぐらに迫ってきた。もの凄い形相である。全身の毛はさかだち、顔は四斗樽ぐらいの大きさに見えた――。
 私はもうなにも考えている余裕はなかった。こうなれば生命がけの大決戦である。
 初弾が命中したか、はずれたかは判然としないが、ともかく手ごたえはあった。しかし一瞬の躊躇も許されない。深く一呼吸し、気を静めて第2弾を吐く。
 だが、羆は眼前十数メートルまで肉迫してきている。まさに危機一髪、絶体絶命だ。
 私は、羆狩り400頭におよぶアイヌの幸太郎から、多年の経験からわりだした秘伝を教えられていた。つまり、危機一髪の場合、それが手負いであると否とにかかわらず、目前数メートルのところまで迫った時、力いっぱい渾身の声をふりしぼって絶叫するということを……である。教えられた当時、誰もいない森のなかでよく練習してみたが、その時はなかなか羆をおどろかせるほどの声は出ないものだった。
 しかし、いま、まさに危機一髪の事態にぶつかって、「ヤーッ」と腹の底からしぼりあげた裂帛(れっぱく)の気合が出た!
 いよいよ跳躍して私に襲いかかろうとした羆は、このトンキョウな気合いにおどろいたのか、まるで呼応するようにガウォーッとうなり、スックと棒立ちになって両手を高く上げた。次は一跳びに私に跳びかかる身構えである。身の丈5メートル以上。私には注文通りの的になったわけだ。
 一秒の間もおかず、第3弾がダーンと火を吐いた。と、同時に、私は2、3メートルも横ッ跳びにシラカバの大幹に体をかわした。
 羆というやつは、致命傷を負ってもそこにいる人間に無意識に跳びかかる習性がある。事実、一秒前まで私が楯にしていたエゾマツの木の幹にがっちりと抱きつき、ドシンと大木を揺がせた。そして無茶苦茶に爪をたて、ウォッ、ウォッとうなった。そして、俺に手向うやつはどこに……といった形相で、あたりをにらみまわした。
 私は銃口をほとんど羆の腹に押しつけんばかりの近距離から、第4弾を射ちこんだ。もはや立ちあがることもできない致命的な重傷だが、それでもなお私の方に向きなおり、襲いかかろうと両手をのばしてあたりをかきむしった。腰が立たないのだが、なおも私に近寄ろうと、前後左右にドタン、バタンと雪煙をあげて暴れに暴れ、怒号は山間に響きわたった。
 私はとどめの一弾を……と考えたが、暴れまわって照準がつかない。しかしそのうちにとどめの必要のないことが判明した。
 さすがに暴れつづける動きもだんだんと衰え、ビクビクッと四肢を痙攣させていたが、ほぼ30分後についに絶命した。雄で8、9歳。体重400キロ。全身金毛の、100頭に1、2頭しかいないといわれる逸物で、毛皮は6畳間いっぱいになるくらいのデッカイ獲物であった。
 羆狩りは決死的な冒険であるが、またそれだけスリルは満点である。射殺した時の快感は、わが国の狩猟中、最高無比であろう。倒した獲物の毛並みをさすっていると、それまでの苦労が一挙に拭われる感じだ。これは羆射ちの猟人以外味わえぬ心境に違いない。
 それにしても、あのような危機一髪の場合、万が一にも不発とか、連発銃の回転しない時は文句なしのおだぶつである。遊びのつもりで羆はとても射てない。まず、生命のやりとりの覚悟がなくては、羆狩りには出かけるものではないのだ。
 私は運よく射止めたからよい。しかし、間違えば弾丸ははずれ、羆の立ちあがった乾坤一擲のあの一弾が不発になる。そうすれば、私はいま、いい気になってのさばってはいられない。
 羆狩りで一番こわいのは、羆そのものよりも、弾の不発であり、連発銃の不回転、ケースのぬけた時、雷管がひっかかった時――などである。羆狩りに出猟する時は、かならずその朝か、せいぜい前夜に自分で弾を装塡することだ。一週間も、一カ月も前に詰めた弾は絶対に使うべきではない。新しく弾を装塡した銃を持っていく――これが羆狩りの第一の秘訣である。
 なにしろ、羆を倒すか、倒されるかだからなのだ……。


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「――西村氏が活動していた時代の、真に国土の発展を願いながら手つかずの自然の中を歩き廻れた時代を心からうらやましく思う――」 
解説は『羆撃ち』の久保俊治氏!