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「とちの木」第61号
私の所属する「とちの木」の季刊誌第61号が刊行されました。
主宰・川崎雅子を筆頭に、会員それぞれの投句した10句が掲載されます。
私の出した10句のうち、5句を自選としてここに掲出します。
![](https://assets.st-note.com/img/1718322664205-awIIpgTOob.jpg?width=1200)
また、私は本誌において毎号「遠景・近景」というコーナーを書かせていただいています。
「とちの木」結社外の俳人の作品と(遠景)、結社内の俳人の作品(近景)をそれぞれいくつか取り上げ、鑑賞させていだくものです。
「遠景」にて鑑賞する句は、主に角川「俳句」などの総合誌に掲載されている句です。今号においては、以下の4つの句を鑑賞させていただきました。
遠足の大人の交ざる厠かな 前田拓(炎環)
駅前にハモニカの爺万愚節 池田恵美子(あかざ)
山住みの一灯ならむ夕霞 井出野浩貴(知音)
朧夜の水あたらしき花瓶かな 藤本夕衣(静かな場所)
このうち、井出野浩貴氏の句の鑑賞を以下転載します。
山住みの一灯ならむ夕霞 井出野浩貴 「俳句」二〇二四年四月号より
霞にけぶる山景の中に、小さな灯りが見えている。穏やかで、身の澄むような美しさをもった時間が流れている。
推量の助動詞「む」が俳句で使われることは多くない。けれど、掲句ではこの働きが大きいのではないか。「む」のあることによって、単純に山の中にある家の灯が詠まれるだけではなく、それをながめる主体の視点が思われるのだ。すると、自然にその視点と灯との間の距離も思われ、その空間的広がりにたなびく夕霞が想像されるのである。そんな遠近法を成立させる仕掛けとして、この一字を見ることができるのではないだろうか。