山川太史(山分大史)

山川太史(やまかわたいし)という俳号で俳句をやっております。 神戸の「とちの木」「いぶき」という二つの結社に所属しております。 こちらでは俳句に関することを中心にいろいろと書いてまいりますので、よろしければお付き合いくださいませ。

山川太史(山分大史)

山川太史(やまかわたいし)という俳号で俳句をやっております。 神戸の「とちの木」「いぶき」という二つの結社に所属しております。 こちらでは俳句に関することを中心にいろいろと書いてまいりますので、よろしければお付き合いくださいませ。

最近の記事

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自選十句(令和五年まで)

自己紹介になればと、昨年末までに結社誌等で発表した句のなかから十句を選びました。こんな句を詠んでいます。

    • 俳句の何が私たちを救うのか

      仁平勝の「心のオアシス」と高浜虚子の「極楽の文学」 角川「俳句」令和6年4月号にて、仁平勝がこんなことを述べている。桑原武夫の俳句批判が的を射ていないことを指摘する文脈である。 そんな「反近代」の性質を持つ俳句がなぜ現代も息づいているかという問いに対して、仁平は「私たちの心の中に、ひたすら便利さを追求してきた「近代」への抵抗があるからだ」(同上)と述べる。仁平によれば、現代を生きる私たちが抱える苦しみに対して、わずか十七音によって詩をつむぐ俳句という古典的文芸は、「心の

      • 川崎雅子俳句の鑑賞⑥ ~一気に昏れ~

        川崎雅子昭和56年の作である。掲載されている第一句集『歩く』のあとがきで、雅子はこの句についてみずからこのように語っている。 「序文でとりあげられた」というのは、本句集は大井雅人による序文が書かれており、そこにこう評されているのを指す。 句自体の表現においても、また句をめぐる背景においても、どこをとっても雅子の芯の強さや俳句に対するひたむきさを象徴する句である。その点では「川崎雅子俳句の鑑賞①」で取り上げた、「男くれば刺せきりぎしの夏薊」に類するものであると思う。 「…

        • 銀河と昴と虚子

          虚子の「句日記」にて だいぶ時節遅れの話題になるけれど、「俳壇」2024年7月号にひとつ気になる記事があった。 この号は高濱虚子生誕百五十年を記念した特集が組まれている。井上泰至氏・西村和子氏・堀切克洋氏による鼎談をはじめ、虚子をめぐるさまざまな記事が53ページにも渡って掲載されていた。 その中に、本井英氏が書かれた「写生の奥にあるもの」と題されたエッセイがあるのだが、そこに書かれていることが気になったのである。 このエッセイでは、虚子の『句日記』(昭和二十八年、創元社

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        自選十句(令和五年まで)

          入試問題の俳句鑑賞 ~灘中学2024年度①~

          私は、普段は国語科の学習塾を経営しており、そのかたわらで俳句をやっている。このような立場の者として、入試問題に出題される俳句はそれなりに気になる存在だ。 入試問題の俳句といえば、私が真っ先に思い浮かべるのが灘中学である。最新の2024年度では、このような問題が出された。 灘中学の入学試験は国語・算数・理科の3教科が受験生に課せられるが、国語と算数は2日にわたって2回の試験が行われる。1日目の国語の問題は語句の知識に関する出題であり、2日目は文章の読解問題が出されるというの

          入試問題の俳句鑑賞 ~灘中学2024年度①~

          川崎雅子俳句の鑑賞⑤ ~秒針一進一進~

          ちょうどいま厄介な台風(10号「サンサン」)が来ているときである。「野分」の句を鑑賞したい。 掲句は昭和54年の作。 時計の針がチクタク…と時を刻む音に擬えたような「びょうしん・いっしん・いっしん」という脚韻。破調であり、あまつさえ促音と撥音のたたみかけるリフレインには、たとえるならば、前のめりの片足けんけんで跳んでいくときのような不安定さを覚える。けれども、この韻律のクセの強さが掲句のほかならぬ魅力であると私は思う。 最近川崎雅子が刊行した句日記『俳句365日』にこの句

          川崎雅子俳句の鑑賞⑤ ~秒針一進一進~

          「いぶき」第25号鑑賞

          8月1日に「いぶき」第25号が刊行された。 「いぶき」は、今井豊代表と中岡毅雄代表による共同代表制の結社である。「いぶき」誌冒頭は、いつも両代表の作品十句によって始められる。今井代表の十句はいつも「臘扇抄」、中岡代表の十句は「紺碧抄」と題されている。 今回も、まずはこの「臘扇抄」と「紺碧抄」の句から二句ずつ取り上げて鑑賞させていただく。 臘扇抄(二十五)より 「少女たち」というのは、おそらく実在はしない、花の精か天女の類いなのではないだろうか。それが落花を盗むというロマン

          「いぶき」第25号鑑賞

          川崎雅子俳句の鑑賞④ 〜少年とゐて夏の夜は〜

          川崎雅子の句によく「少年」が登場する。 掲句の他には、〈そよぎだす少年を容れ木下闇〉〈夏逝くや少年幹にふれてゆく〉〈少年のあと少女行き九月の木〉といったものがある。 また、「少年」ではないがそれに類するものとして〈涼風や耳のきれいな男の子〉という句もあるし、比喩としての登場だが〈少年のやうな島あり冬に入る〉という句もある。 掲句〈少年とゐて…〉は、第一句集『歩く』に所収。昭和54年以前の句としてまとめられた句群の中の一句である。上に引いた句のうちの〈そよぎだす…〉もこの句群

          川崎雅子俳句の鑑賞④ 〜少年とゐて夏の夜は〜

          令和6年上半期自選十句

          令和6年上半期自選十句

          第12回俳句四季新人賞応募作品

          6月20日発売の「俳句四季」にて、俳句四季大賞と俳句四季新人賞の結果が発表されました。 嬉しいことに、私は最終候補作品の40作品の中に入れていただきました。 もちろん、受賞でなければ結局は何の誇るべき功績とも言えないのですが、自分の作品がある程度認められたということを、いま素直な気持ちで喜んでいます。 このニュースが大きな励みになりましたので、次こそは何らかの賞を獲れるよう、より一層気持ちを引き締めて邁進していきたいと思います。 供養も兼ねて、今回応募した30句をここに置か

          第12回俳句四季新人賞応募作品

          「とちの木」第61号

          私の所属する「とちの木」の季刊誌第61号が刊行されました。 主宰・川崎雅子を筆頭に、会員それぞれの投句した10句が掲載されます。 私の出した10句のうち、5句を自選としてここに掲出します。 また、私は本誌において毎号「遠景・近景」というコーナーを書かせていただいています。 「とちの木」結社外の俳人の作品と(遠景)、結社内の俳人の作品(近景)をそれぞれいくつか取り上げ、鑑賞させていだくものです。 「遠景」にて鑑賞する句は、主に角川「俳句」などの総合誌に掲載されている句です。

          川崎雅子俳句の鑑賞③ 〜山のホテルの銀食器〜

          俳句はモノを詠む。 「とちの木」に入り、川崎雅子からこのことを教え込まれるまで、俳句というもののなんたるかを知らぬ私は下手に叙情的で陳腐な内容の句を作っていたと思う。 あるとき〈秋霖や触れればともる机上灯〉という句が詠めて、自分なりにやっとモノを詠めたと思った。俳句とはこういうことなのかという手応えが持てた。 この拙句(〈秋霖や〉の句)は「触れる」という動詞を間に持ちつつ、「秋霖(しゅうりん、秋の長雨のこと)」と「机上灯」という二つの体言をモンタージュさせている。しかし、俳

          川崎雅子俳句の鑑賞③ 〜山のホテルの銀食器〜

          川崎雅子俳句の鑑賞② 〜波状正しき〜

          「とちの木」句会で、私は主宰・川崎雅子に漢語の使用について注意を何度も受けてきた。 安直に漢語を使ってはならない。よく考えて句に入れるように。 そう伝えられてきている。 この教えは、川崎雅子が「渦」に所属していたときに赤尾兜子から言われてきたことだったそうだ。 たとえば、「場所」という語を入れたのでも釘を刺されたことがあった。多くの人は言われなければあまり意識しないだろうが「場所」は漢語である。対応する和語としては「ところ」がある。 確かに、後者よりも前者のほうがゴテゴテし

          川崎雅子俳句の鑑賞② 〜波状正しき〜

          川崎雅子俳句の鑑賞① 〜男くれば〜

          私の師である「とちの木」主宰の川崎雅子は、昭和50年に「渦」に入会してその句歴を歩みだした。 「渦」の主宰・赤尾兜子(あかお とうし)の死後は、心機一転「雲母」に移り飯田龍太に学ぶ。そして、平成4年の「雲母」終刊後は、大井雅人(おおい がじん)の「柚」に所属し、その終刊後、同結社の精神を継承するかたちで「とちの木」を創刊する。 なお、「雲母」以降、龍太・雅人から教えを受けたほか、友岡子郷(ともおか しきょう)からも薫陶を受けており、平成18年には彼の句を鑑賞した『友岡子郷俳句

          川崎雅子俳句の鑑賞① 〜男くれば〜

          「いぶき」第24号鑑賞 ―雑詠欄―

          先日「いぶき」24号の代表作品を鑑賞したことに次いで、ここでは雑詠欄のなかで目についた句を鑑賞したい。 「いぶき」の雑詠欄について 今井豊・中岡毅雄両代表制である「いぶき」の雑詠欄は、投句者の句が両代表それぞれからの選を受ける。投句者は七句を出し、その中から、最も多くて六句、少なくて三句が選ばれ、誌面に掲載される。また、六句選出されているもののなかで、特に優れている上位八席は、代表による一句鑑賞が添えられる。 今井代表による選の欄は「齋甕集(ゆかしゅう)」、中岡代表による

          「いぶき」第24号鑑賞 ―雑詠欄―

          「いぶき」第24号鑑賞 —代表作品—

          私の所属している結社「いぶき」の結社誌24号が5月1日に刊行された。 「いぶき」は、中岡毅雄代表と今井豊代表の二人による両代表制を採っている。結社誌は季刊であり、年に4回刊行されるが、毎号巻頭には両代表の作品10句が掲載されている。 中岡代表の作品は「紺碧抄」と名付けられ、今井代表の作品は「臘扇抄」と名付けられている。 ここでは、その両代表による計20句から、とりわけ目を引いた句を鑑賞させていただく。 「実朝忌」はかく詠むべしと、手本を見せてくれるような一句だ。「濡れゐる

          「いぶき」第24号鑑賞 —代表作品—