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俳句の何が私たちを救うのか


仁平勝の「心のオアシス」と高浜虚子の「極楽の文学」

角川「俳句」令和6年4月号にて、仁平勝がこんなことを述べている。桑原武夫の俳句批判が的を射ていないことを指摘する文脈である。

ちなみに桑原は、「俳句のことは自身作句して見なければわからぬ」という水原秋桜子の言葉に対して、そこに「俳句の近代芸術としての命脈を見る」と書いている(前掲書〈※引用者註:「第二芸術―現代俳句について」のこと〉)。しかし俳句は、そもそも「近代芸術」などではない。いうならば「反近代」の文芸である。そのことによって、「近代」が終わった今日もなお「命脈」を保っているのである。

「角川 俳句」令和6年4月号、pp82-83.「「作者が自ら楽しむ」こと」

そんな「反近代」の性質を持つ俳句がなぜ現代も息づいているかという問いに対して、仁平は「私たちの心の中に、ひたすら便利さを追求してきた「近代」への抵抗があるからだ」(同上)と述べる。仁平によれば、現代を生きる私たちが抱える苦しみに対して、わずか十七音によって詩をつむぐ俳句という古典的文芸は、「心のオアシス」(同上)になるのだという。

この「心のオアシス」という言を聞いて連想するのが、高浜虚子の言う「極楽の文学」だ。

私はかつて極楽の文学と地獄の文学という事を言って、文学にこの二種類があるがいずれも存立の価値がある、俳句は花鳥諷詠の文学であるから勢い極楽の文学になるという事を言った。如何に窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一たび心を花鳥風月に寄する事によってその生活苦を忘れ病苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置く事が出来る。俳句は極楽の文芸であるという所以である。

『俳句への道』、「極楽の文学」

この後の箇所では「人間において悲惨そのものを描き、痛い所を叩き、痒い所を掻くという文学もまた必要であるが、それらを忘れ去って歌舞の世界に遊ぶのもまた必要である」と述べられており、そんな言い方も加味すれば、虚子は実生活上の苦悩は主題化せず、「心を花鳥風月に寄」せて自然の風物の美しさを吟じることによって一時的な安らぎや満足を得るたつきとしての俳句像を語っているように見える。一方で仁平の言の中には苦しみの主題化を避けるという観点は入っていないため、厳密には彼の「心のオアシス」論をこの虚子の「極楽の文学」論に重ねてしまうわけにはいかないかもしれない。とは言え、俳句(もちろん、これは俳句に限らず他の詩歌や文芸活動一般にも通用することであろうと思われるが)を嗜むことでしか得られない精神的な慰めや癒しがあるという話として、仁平の「心のオアシス」と虚子の「極楽の文学」は概ね一致していると言えるだろう。

俳句実作者である私自身、俳句を詠むこと、読むこと、またそれについて人と話すことに、かけがえのないよろこびややりがいを覚える者の一人であり、「心のオアシス」「極楽の文学」を事実として体感している。
しかしながら、その上で問うのだけれど、それは一体どうしてなのだろうか。私たち俳句愛好者は、俳句の何によって心を救われているのか。
虚子はその問題には単に「花鳥諷詠の文学であるから」としか言っていないけれど、「花鳥諷詠の文学」であることがなぜ私たちを癒すものになり得るのだろう。

虚子の「花鳥諷詠」の意味

そのことを考えるために、仁平による「花鳥諷詠」についての議論を参考にしてみたい。
まず、仁平の虚子論「虚子の近代」によれば、実は虚子が自らの俳句の拠点にしているのは、日本の詩歌の歴史文化を構成してきた「ナショナルな詩的共同体」(『虚子の読み方』p.24)が伝統的に支えてきた美意識であるという。

虚子の俳句美学を支えている拠点は、彼自身の言葉を借りるなら「歴史的連想」の〈時間〉なのである。つまり虚子にとって俳句とは、周囲の花鳥風月の風景が(彼にたいして)体現している歴史的時間に、現実の肉体をまるごとあずけてしまう営為であった。

『虚子の読み方』、p26

この話は、仁平が正岡子規の「写生」と虚子の「客観写生」の本質的な違いを分析している文脈にある。子規にとっての「写生」は純粋に西洋の写実主義の理念を基礎にしたものである。それは、月並俳句に弥漫する花鳥風月の典型的美学を脱却するために、「ナショナルな詩的共同体」の築いた「歴史的時間」を対象から完全に切り離して詠じるという方法論である。
仁平によれば、虚子の「客観写生」はその子規の理念を受け継いだものではない。むしろその「歴史的時間」は対象から捨象できない要素として受け入れ、それに身を預けていくというのが虚子の俳句の姿勢なのである。だから、仁平に言わせれば「『客観写生』という言葉は、もともと虚子自身の俳句美学のありかを対象化することができていない」(同上)のだそうだ。

そして、虚子は「客観写生」の先にさらに「花鳥諷詠」という概念を見つけることで「自らの内部に引きずってきた子規の西洋的な写実主義に決着をつけた」(同上、p.34)という。
仁平は、虚子の書いた「俳句論」や「俳句への道」を引き、虚子が俳句の独自性を「抒情詩」でも「叙景詩」でもないというところに位置づけたことに注目する。そして、虚子にとっては対象の描写自体に価値があるのではなく、その描写を通して起こる作者と読者の心の交感に感動の源泉が見出されていることを明らかにし、このようにまとめる。

「その詠ぜられたところのもの」を見て、「其の詠ぜなければならん其人の心」を考えることができるためには、すなわち作者と読者の共通の認識として「春夏秋冬の移りによつて起つて来る自然界、人事界の現象」というものの典型ができあがっていなければならない。花鳥風月とは、いわばその典型を保証する美意識の象徴なのだ。とすれば、花鳥風月を「諷詠」することは、もはや「客観写生」という言葉で現される方法論とはまったく別のものである。

同上、p40

つまり、自然や人事現象について作者と読者が共有し得る認識があり、花鳥諷詠とはその認識を喚起する営みなのである。花鳥諷詠がそのようなものだとするならば、「客観写生」という言葉を受けてわれわれが一般的に考えるであろう「(主観的な先入観を排し)客観をありのままに描く」という行為とはかなりかけ離れたものだということになる。

花鳥風月というエッセンス

ただ、その場合「自然界、人事界の現象」の「典型」とは具体的にどのようなものなのだろうか。そのイメージをつかむためには、寺田寅彦が〈荒海や佐渡に横たふ天の河 芭蕉〉を引き合いに語っていることがよい参考になると思われるので引いてみよう。

吾々にとっては「荒海」は(中略)一面においては吾々の眼前に展開する客観の荒海であると同時にまた吾々の頭脳を通してあらゆる過去の日本人の心にまで拡がり連なる主観の荒海でもあるのである。(中略)
「佐渡」でも「天の河」でも同様である。一体に俳句の季題と名づけられたあらゆる言葉がそうである。「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の術語ではなくて、それぞれ莫大な空間と時間との間に拡がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体並びに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスである。またそれらの言葉を耳に聞き眼に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。そういう意味での「象徴」である。

「俳句の精神」

たとえば歌枕は、それが詠みこまれた無数の歌の情緒、それらの歌を詠んだ無数の歌人たちの思い、またそれらを享受した読み手としての日本人集団の感性を、長い歴史を通してその身に染みこませている。そうすることにより、その地名が発語されるたびに固有で特別な情感が呼び起されることが可能になっている。
ここで寺田が述べているのは、歌枕ばかりでなく、「荒海」「佐渡」といった一般的な名辞(「佐渡」は固有名詞だが、季題との対照でこのように言っておく)でさえ、それと同様の意味・価値付けを伴っているということ、そして季題においてはなおさらその性格が濃厚であるということである。私たち俳人は、季題をはじめとするそんな「人間の肉体並びに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンス」を道具として詩をつむぐ人種なのであり、その営みのあらゆる階層において必ず「あらゆる過去の日本人の心にまで拡がり連なる」いわば間主観的な感性が働いているのである。

そして、このことを仁平の洞察につなげるならば、そうした俳句のありかたが虚子の言う「花鳥諷詠」だと言えそうだ。仁平が「いわばその典型を保証する美意識の象徴」だと言う「花鳥風月」は、そのまま寺田の言う「煎じ詰めたエッセンス」に重ねることが可能だろう。花鳥風月を諷詠することは、その日本語文化、日本の詩歌文化が全歴史をかけて凝縮させたエッセンスを開放させる行為だ。虚子の俳句が「周囲の花鳥風月の風景が(彼にたいして)体現している歴史的時間に、現実の肉体をまるごとあずけてしまう営為」(『虚子の読み方』、p.26)だというのは、まさにそういうことであると考えることができる。

そして、花鳥諷詠がそのような営みであることを理解できたことによって、俳句が花鳥諷詠であるために「極楽の文学」たり得るという虚子の理屈が理解できるようになったのではないか。
花鳥諷詠が日本人の言語的文化的感性の歴史的な蓄積に身をゆだねる行為であるならば、自らの詠んだ句がたとえば「見事な花鳥諷詠句だ」と評価されるとき、あるいは少なくとも自分自身でそう思えるとき、その人は日本の文化の深遠とつながることに成功している。あるいは、その深遠の後ろ盾を得ることに成功していると言ってもよい。
句会で自分の句に点がもらえたときのよろこびや、俳句大会で入選したときのよろこびは、単にその人一個人の作品が、言葉が、評価されたことのよろこびにとどまらない。その句座や選者に共感されたよろこび、またそれを通じてより大きな日本の文化という広がりにわずかでも仲間入りができたよろこびがあるはずだ。
俳句が「極楽の文学」であるとは、そんな個人を超えたレベルでのよろこび、達成感、自己肯定感を得られる可能性によるのだ。俳句が救いの力を持ち得るのは、花鳥諷詠という日本文化への時空を超越する回路が、現代の「わたし」に通っているという実感によるものだ。

「反近代」の意義

ただし、そんな日本文化への回路への接続の感覚については、それを心地よいと思えない人がいることは当然である(またそのような感性が非難される筋合いは全く無いことである)。また、その感覚は「分かる人にしか分からない、感じられる人にしか感じられない」という内向きに閉じる傾向をもってしまうことは否めない。
そもそも、桑原武夫の俳句批判の一つがここにあると言える。本記事の初めの引用で仁平による桑原批判の文章を引いたが、「第二芸術論 —現代俳句についてー」における、仁平の引用箇所で桑原が主張しているのは、俳句がその一つ一つの作品としては表現内容として理解しにくいという欠点をもち、その欠点が一流の芸術としてそぐわないと考えられる要素の一つだということである。

現代俳句の芸術としてのこうした弱点をはっきり示す事実は、現代俳人の作品の鑑賞あるいは解釈というような文章や書物が、俳人が自己の句を説明したものをも含めて、はなはだ多く存在するという現象である。

「第二芸術論 —現代俳句についてー」

桑原は、そういうふうに俳句が分からないのは自分に句作経験が無いからだという反論を想定した上で、水原秋櫻子の「俳句のことは自身作句してみなければわからぬものである」という言葉を引用し、そういう傾向の存すること自体がむしろ「俳句の近代芸術としての命脈」であると断じている。

こうした桑原の論点を、「俳句は、そもそも『近代芸術』などではない」と骨抜きにしたのが、本記事初めに引用した仁平の言であった。
確かに、桑原が俳壇のあり方について「神秘化の傾向が含まれる」と指摘しているように、俳壇的な感性が内向的であり、その集団に属さない人々には理解されないものであるならば問題だろう。そうした人々にも十分に理解してもらえるように自らを開陳するための言葉を豊かに持たなければ、俳壇に携わる人口はどんどん減っていき、文化としてやがて消失してしまうのは避けられない。
しかし、その問題はひとまず置いておくとして(実際、現状で俳壇が自らのすそ野を広げようとする努力や手段を不足しているとは個人的には思っていない)、仁平の言う、俳句が近代芸術ではなく、むしろ「反近代」の文芸であるという認識は重要であると思うのだ。

近代的合理主義のもとに顧みられることが軽視された日本の伝統的な感性や価値観に身を浸らせることが花鳥諷詠であり俳句を詠むことであるならば、それはまさしく「反近代」的な営みであると言える。
しかしながら、「反近代」という概念には、そういった過去への志向性があるだけではないということにも注意したい。「反近代」は「前近代」ではないのだ。そこには、近代を反省的に乗り越えて新しい時代を切り開くという未来志向も含まれているのである。あるいは、私たち現代人が抱える苦悩の遥かな根となる近代という時代に対して、恨み節をぶつけたり中指を立てたりするということでもよい。いずれにしても、「反近代」とは、私たちが現代人としての率直な態度を表明するという契機も包含する概念であると思う。

確認してきたように、花鳥諷詠が「極楽の文学」であるというのは、俳句に携わるという営みが、日本の伝統的な感性や価値観に身を浸らせて民族的な共感の意識に安住する感覚を得たり、自己同一性の確認をして安心したりするということである。しかしながら、それは俳句を愛する者が日本人という集合体に没入して、その個としてのあり方を失ってしまうことを意味するのではない。「反近代」であって「前近代」ではない文芸としての俳句は、近代的自我としてのあり方をすでに成り立たせてしまっている「わたし」を否定することは決してしない。「いま」を生きる「わたし」が、日本の伝統的な感性や価値観と程よい距離を取りながらーつまり「わたし」は「わたし」ひとりなのではなく「わたしたち」であるという安心感や心強さを感じながらー「いま」の「わたし」にしか切り開けない言葉の境地に臨むことを可能にさせるのだ。

「わたし」が肥大化しない「反近代」の文芸

そして、そのような俳句のあり方は、「わたし」を「わたし」として発揮しつつ、それでいて「わたし」の肥大化を抑制し得るという、自己表現の手段としては稀な強みを持つのではないだろうか。
以前、細村星一郎が彼のエッセイの中で「俳句という生命体」という言葉を使っていた。細村自身の思いに沿う受け止め方であるかどうかは分からないが、この言葉は上記の俳句の特質を見事に言い表していると感じた。

「俳句とは技術の競争でも美意識の共有でもなく、態度の表明なのである」と定位する細村は、実作にせよ、評論にせよ、俳句に携わる一人一人が各自の問いを持ち、その問題意識をぶつけ合いながら彫琢していく過程が「俳句という生命体の栄養にほかならない」と述べる。
ここにあるのは、俳句に携わる「わたしたち」がそれぞれ自立した「わたしたち」として存立しつつ、それらを包む「俳句という生命体」の進展に貢献していくという図だ。そこでは肥大化していくのはあくまで「俳句という生命体」であり、「わたしたち」の一人一人ではない。しかも、それでいながら、「わたしたち」はその主体性を失わない。むしろ、「わたしたち」の主体性こそが「俳句という生命体」を育んでいく。

もちろん、このような構造であることはあくまで構造の話であり理念的な話である。現実的には俳句作者がその心理において自我を多少なりとも肥大化させてしまうということはあり得るだろう。実際、私自身も、自信や誇りをもって出した句に選がつかなかったり、酷評されたりすれば、悔しく思うし、自分自身の存在を否定された気持ちになることさえある。そして、引用先のエッセイで細村が終結を試みているのも、現実の俳句界で生じた自我の肥大化の問題だったと言うこともできるのだろう(私自身がこの「才能論」をリアルタイムでは追えていなかったので詳しいことは分からないが)。

表現活動である以上、主体としての作者が自己の思いを大きくし過ぎることは現実にあり得る。自意識過剰ぎみに自らの才能の欠如を嘆いてしまったり、あるいは反対に自分の才能を奢り他の俳人を見下したりする。そういった例は現実の俳壇に山ほどあるだろう。
しかし、たとえそうだとしても、そのような自我の執着がいかにくだらないものであるかということを、俳句という生命体はすぐに気付かせてくれる。それが、桑原武夫にはきっといつまでも理解できないであろう「反近代」の文芸が持つかけがえのない強みである。

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