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Portfolio:創業に至る経緯と想い

 株式会社やまかわ製材舎の代表を務めます、及川幹と申します。2024年3月現在、会社設立の準備を進めており、4月中の登記完了を目指して動いています。ここでは、私個人の経歴と、創業にまで至った想いについて、簡単に書きまとめてみました。


1993年 千葉県茂原市生まれ

 1993年3月、生まれは千葉県です。両親が関東出身ということもあり、千葉で生誕していますが、生まれて以後、ほとんど住んだことはありません。いわゆるゆとり世代最盛期の年代で、今年31歳になりました。

1995~2001年 ブラジルイタペチニンガ

 1995~2001年の6年間、父の仕事の都合もあり、ブラジルで暮らしました。イタペチニンガという中堅地方都市には日本人学校がなかったため、現地のキリスト教系の学校に通い、ポルトガル語で友人たちと生活を送ります。ブラジルと日本という異なる文化の間を行き来しながら、ダブルスタンダードで生活し続けた私は、幼いながら、人のふるまいの違いを生み出す、文化というものに興味をもつようになります。

24歳の時、ブラジルを再訪問したときの写真

2001~2011年 静岡県島田市・静岡市

 ブラジルより帰国したのちは、学生生活の大半を静岡で過ごすことになります。ブラジルから静岡に移動したこともあり、あたりまえのようにサッカーに熱中し、高校卒業までサッカー漬けの毎日を過ごしました。点と線と面で構成されるサッカーのゲーム感覚は、いまでも流通に対する感覚の基礎となっています。
 そして自分にとってのもう一つの原点が、島田市を流れる大河・大井川。増減の激しい水量は、自然の驚異を思い知らせてくるかのようで、とても川遊びをしようとはおもえない川でした。けれども、赤石岳などの南アルプス山域を源流とする大井川は、山と町との繋がりを教えてくれる存在でもあり、そしてパルプ工場をはじめとする工業社会と水との関わり合いを教えてくれる存在でした。決して美しい記憶ではありませんでしたが、人と自然との関わり合いが生々しく凝縮されていて、やまかわ製材舎の屋号の原風景となっています。

静岡には太平洋へと繋がる海も見られた

2011~2015年 大阪大学人間科学部文化人類学専攻

 高校卒業後は、ブラジル時代の関心から大阪大学人間科学部に進学しました。オリエンテーリングと登山を楽しみながら、徐々に自然のもつ多面性に惹かれていきます。
 大学2年時の専門選択の際には、文化人類学を専攻しました。世界中に展開している人間の営みを学ぶなかで、その土地固有の自然環境に対する個別最適解としての文化こそが、人と自然との関係性における一つの理想なのではないかと考えるようになりました。
 昨今、脱炭素や地球温暖化などの「炭素」を基準にした議論では、良くも悪くも地球上のすべての自然を同じ土俵に上げて、優劣をつけられるようにしました(画期的)。これまで人が培ってきた多様な文化形成を考えると、もっと多様な尺度で自然と文化を評価する術も、一方で残していくべきです。
 大学卒業までは、種々の民族事例を勉強しつづけ、卒論では「土地の文化人類学:山林の私的所有権を事例に」というテーマで、自然を私的所有することの矛盾と、元来利用と密接に結びついている所有の側面を描き出そうとしました。

母校とは現在でも一部プロジェクトで共働している

2015~2020年 西垣林業株式会社

 就職活動では、紆余曲折を経て、林業・木材業にたどり着きます。産業としての1サイクルの時間軸の長さが、産業を工業のレベルにまで昇華させない面白さや、文化によって大きく異なる流通や技術のかたち、地域の気候風土と地理的環境によって、必然的に森林に違いが出てしまうことなど、文化的な要素がたくさんあることに惹かれました。
 国産針葉樹の量産製材工場に配属され、まもなくして木材流通における製材工場のハブとしての立ち位置の面白さに気づきます。営業や入出荷管理など、いわゆる製材工場の出口を担当することで、製材工場のモノの流れとその動かし方を一通り理解することができ、業界に対する解像度が一気に上がったとおもいます。
 その後、新工場の立ち上げのために異動し、今度は生産管理を担当。新工場のラインの整理から機械調整、マニュアル作成、人員配置と育成、スケジュール管理など、製材工場としての生産全般に関わることができ、「つくって」「売る」ところまでを5年間で学ばせていただきました。

2020~2025年 飛騨市地域おこし協力隊、広葉樹コンシェルジュ

 約5年間、国産針葉樹の流通に携わったのち、2020年より飛騨市へ移住します。「人」が管理し育ててきた国産針葉樹、その「量」を動かす流通に携わってきたなかで、今度は「天然」生の地域産広葉樹、その「質」と向き合う地域規模の流通にチャレンジしたい気持ちが芽生えてました。
 飛騨市へ着任以後は、川上と川下を近づけ、より需給情報が噛み合いやすい流通のかたちを模索し続けています。それを人工林ではなく、多様な樹種と品質で構成される天然生林で。天然生林からではの有機性と向き合い、個別最適な文化的な流通を編み出していく。原点回帰し、かつて理想としていた自然と人との関わりを、産業のなかで目指しています。

ドイツの旅職人との記念写真

2024年4月~ 株式会社やまかわ製材舎

 そして現在、飛騨市内にあった休眠製材所を借り受け、製材事業と乾燥事業、そして流通事業を主軸にした会社設立の準備をしています。
 林業木材産業が、本当の意味で地域の地場産業となるためには、おもしろい製材所の存在と、地域の山、地域の木をベースとした製材所の事業モデルが必要です。そこに当事者として飛び込み、チャレンジすべく、一念発起して会社設立へと踏み出しました。

やまかわ製材舎を象徴する、飛騨古川の風景


届けるのは「木」ではなく、「木の文化」

 これからの木材流通は、中間流通という考え方がなくなってくると私は考えています。内製化・一本化によって分業がなくなるという意味もありますが、それに加えて、川上から川下までのすべてのモノの流れが、表に出るようになるということです。
 そのためには中間流通を開き、オープンな関係性とビジネスが展開される流通にしていく必要があります。そして自分たちが何者なのかを、より広い視野で表明し、再定義していかなければなりません。
 「木」ではなく、「木の文化」を届ける。それができる仲間を募り、製材所の役割を更新していきたいとおもいます。それが家業でもない木材業を、私が一から始める想いであり、願いです。

少しずつ、良い場所に育てていく

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