心の迷う民:聖書をめぐる旅 12/16
12/16(木)
今日は疲れ気味です。しかし、毎日の聖書の旅に向かうと、ちょっと気持ちも明るくなります。歴代誌上17章は、神様の言葉に新しい発見がありました。詩編95編は、心の迷う民を考えました。
歴代誌上17章
5わたしはイスラエルを導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕から天幕へ、幕屋から幕屋へと移って来た。 6わたしはすべてのイスラエルと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民を牧するようにと命じたイスラエルの士師の一人にでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
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神様が大事にしているのは、建物ではなく、常に「イスラエルと共に歩むこと」だと気づきました。だから、インマヌエル(神は共におられる)という名前の神の子がお生まれになったのだと思います。
わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしはことごとく屈服させる。わたしはあなたに告げる。主が、あなたのために家を建てる。 あなたが生涯を終え、先祖のもとに行くとき、あなたの子孫、あなたの子の一人に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 この者がわたしのために家を建て、わたしは彼の王座をとこしえに堅く据える。
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神殿を建てようとしたダビデの神様が語ったことは、
ダビデの息子ソロモンが神殿を建てる・・・ということだと思っていましたが、よく読むと、ちょっと違いました。
家を建てるのは人間ではなく、主があなたたちのために家を建てるとおっしゃっています。(人間が神の家をつくるのではない!)
そして、ダビデの子孫のひとりに王国を継がせる、と。
これはソロモンのことではなく、後の時代にお生まれになるイエス・キリストのことだということに気付きました。
聖書は奥深い読み物ですね。
詩編95編
8「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように
心を頑にしてはならない。
9あのとき、あなたたちの先祖はわたしを試みた。
わたしの業を見ながら、なおわたしを試した。
10四十年の間、わたしはその世代をいとい
心の迷う民と呼んだ。
彼らはわたしの道を知ろうとしなかった。
11わたしは怒り
彼らをわたしの憩いの地に入れないと誓った。」
→紅海を渡っても、火の柱雲の柱によって導かれていても
イスラエルの民は、神様を信じることなく、むしろ神様を試みたとあります。それゆえ、荒野を40年もさまようことになりました。
彼らのことを「心の迷う民」と呼んでいます。
私は、とてもイスラエルの民を裁けるような者ではありませんが、
イエスキリストの十字架の業の故に、神様に受け入れられていることを感謝します。
自分が受け入れられているかどうかわからない時、心は迷います。
しかし、自分ではなく神様の子である、イエスキリストが身代わりになるほど、人間は愛されている存在です。
その人間の中には、あなたも私もいることに感謝です。
クリスマスが近づいてきました。
自分の価値がわからなくなったときこそ、
イエスキリストの前に進み出てみませんか?
このお方は、哀れみ深いお方です。