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ダマスコ:聖書をめぐる旅 4/18


4/18(月)
 ヨブ記が最後の章になりました。ヨブの苦難と叫びの本質を神様は理解してくださっていることが、最後にわかりました。イザヤ書は、ダマスコとエフライムに対する預言が語られています。

ヨブ記42章

5あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
6それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。
7主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。
「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。
8しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。
16ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。 17ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

 ヨブは、主の御前にひれ伏しています。
1度ならず2度へりくだっている姿は、主に圧倒され、自分の存在を改めて理解したのだと思います。
そして、主の御声だけでなく、主ご自身をヨブは仰ぎ見たとあります。
主はどれほど大きいのでしょうか、主はどれほど深い方でしょうか?
主と会った時に、ヨブは自分の不十分さ、不理解をとっさに理解したのかもしれません。

ヨブが悔い改め、友のために祈ってから、友は救われました。
ヨブには二倍の財産、そして家族、そして家畜が与えられました。
苦難の中のヨブの叫びを、主はまっすぐに受け止めてくださっていたことがわかります。
ある意味、イエス様をこの世に遣わされた主なる神様の気持ちがここにあるように感じました。


イザヤ書17章

ダマスコとエフライムの運命
1ダマスコについての託宣。
「見よ、ダマスコは都の面影を失い
瓦礫の山となる。
2アロエルの町々は見捨てられ
家畜の群れが伏し、脅かすものもない。
3エフライムからは砦が
ダマスコからは王権が絶える。
アラムに残るものは
イスラエルの人々の栄光のようになる」と
万軍の主は言われる。

 ダマスコとは、現在のシリアの首都ダマスカス、エフライムとは北イスラエルのことです。
ダマスコ、即ちダマスカスは世界最古の都市のひとつに数えられています。
多くの世界的な都市は、昔栄えてもやがて失われています。しかし、このダマスカスは、今もシリアの首都として栄えています。
そのことから、今日の御言葉、ダマスコは都の面影を失い瓦礫の山となる・・・はこれから起こることが預言されているという見方もあるそうです。
ダマスカスの歴史を見ると、古くはアラム王国の首都、アッシリア、セレウコス朝、ローマ、ビザンティン帝国、アラブ・イスラム、オスマン帝国、シリアと長い歴史の中で支配者が入れ替わってきました。聖書の中に出てくる、パウロもダマスカスで、キリストに出会い、目が見えなくなるという出来事があった場所です。この土地は、パウロが回心したターニングポイントの土地でもあります。
この町がやがて瓦礫の山になる、歴史の大転換がこの後起こるのかもしれません。

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