あなたの業を主にゆだねれば:聖書をめぐる旅 2/25
2/25(金)
ハッピーエンドというよりは、何か不穏な空気のままネヘミヤ記は最終章になります。それは、人間の罪の力の大きさの影響です。箴言は、人と神様という対の存在に立ち返ってみました。
ネヘミヤ記13章
15またそのころ、ユダで、人々が安息日に酒ぶねでぶどうを踏み、穀物の束をろばに負わせて運んでいるのを、わたしは見た。また、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじく、その他あらゆる種類の荷物も同じようにして、安息日にエルサレムに運び入れていた。そこで、彼らが食品を売っているその日に、わたしは彼らを戒めた。
ネヘミヤ記が最終章になりました。
ちょっと不穏な空気が流れています。
片手に槍をもって、もっこを担ぎながら再建した城壁、そして神殿のはずなのに、安息日に神殿で商売をしたり、神殿の奉納物をおさめる場所を敵の場所として与えていたり、まったくハチャメチャです。エルサレムを離れていたネヘミヤが怒ったのも無理はありません。
これからおよそ500年後、
イエスキリストがエルサレムの神殿に入りしたことも、
宮清め、即ち商売人を追い出すことでした。
おだやかなイエス様が、この時は激しく怒っています。
人間は、歴史を学びますが、歴史から学ばないとは、こういうことかと思わされました。いや、耕作しない畑が雑草でおおわれるように、私たちの心の中の罪は、何もしないと常に神様に反抗し、自らの欲のままに生きるのだと思わされました。
この罪との闘いに、私たちの力はまったく無力です。
キリストの十字架の死と復活だけが希望です。
箴言16章
1人間は心構えをする。
主が舌に答えるべきことを与えてくださる。
2人間の道は自分の目に清く見えるが
主はその精神を調べられる。
3あなたの業を主にゆだねれば
計らうことは固く立つ。
4主は御旨にそってすべての事をされる。
逆らう者をも災いの日のために造られる。
9人間の心は自分の道を計画する。
主が一歩一歩を備えてくださる。
人間の行動と、主のサポートが対になって書かれています。
神様は、人間に自由意志をお与えになりましたが、
同時に、神と共に歩むように作られました。
これは、エバがアダムのあばら骨からつくられたように、
人間も神様とともに歩むように作られたことの証のように思います。
こういう私も、主が共におられる故に、今日も喜んでこの文章に向かうことができます。
いつも、リアクションいただく皆様、ありがとうございます。
今日1日も、いろいろな生活の場で、喜びにあふれる1日でありますように。