「地の実りの初物を取って」申命記26章27章~ちょびっと聖書 a little Bible
2/8(水)
<気づき>
申命記26章
・2あなたの神、主が与えられる土地から取れるあらゆる地の実りの初物を取って籠に入れ、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所に行きなさい。
・12十分の一の納期である三年目ごとに、収穫物の十分の一を全部納め終わり、レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し、彼らが町の中でそれを食べて満ち足りたとき、 13あなたの神、主の前で次のように言いなさい。「わたしは、聖なる献げ物を残らず家から取り出し、すべてあなたが命じられた戒めに従って、レビ人、寄留者、孤児、寡婦に施し、あなたの戒めからはずれたり、それを忘れたりしませんでした。
収穫の十分の一を納めることは、共同体の愛の行為として用いられています。また、日々の全ての業が、神様の恵みの中にあることを感謝する行為です。
申命記27章
・9モーセは、レビ人である祭司と共に全イスラエルに向かって告げた。
イスラエルよ、静かにして聞きなさい。あなたは今日、あなたの神、主の民とされた。
・12あなたたちがヨルダン川を渡ったならば、民を祝福するために、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンはゲリジム山に立ち、 13また呪うために、ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリはエバル山に立ちなさい。
主の民とされたことを静かに聞きなさいと語られています。ここに主の恵みに思いを巡らすことがあります。そして、民族を2つに分けて、祝福のゲリジム山、呪いのエバル山に立つことを命じておられます。これは、人生の最後に神様の前に立つ時に、右と左に分けられることを彷彿させます。いずれにせよ、律法の実行によっては人間は救いに至らず、キリストの信仰のみが祝福であることを改めて受け止めました。
<祈り>
天のお父様、神様が与えてくださった土地に入るとき、その収穫物の一部を神様に納めることが定められています。これは、共同体のすべての人が満たされるような神様の愛の行為であり、すべての仕事が神様の恵みの中にあることを確認することでもあります。ありがとうございます。
また、イスラエルがゲリジム山とエバル山に分かれて立ったように、人生の終わりに神様の前に進み出たときに、右と左に分けられることを思います。律法の実行では人間は義となることができず、イエスキリストを信じる信仰のみが、祝福の道であることを感謝します。今日、私の子どもたちの上にも神様の祝福が注がれることを感謝します。
~ちょびっと聖書 a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/
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