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ナンバー2:聖書をめぐる旅 3/7

3/7(月)

エステル記といいながら、その陰でささえ民族を救ったモルデカイで物語は終わりになります。聖書の中には国のナンバー2になるユダヤ人が何人かいますが、その理由を考えてみました。箴言は、「ちょうつがい」を自戒のサインにしたいと思います。

エステル記10章

3ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。

 捕囚となったユダヤ人が異国の地で王に次ぐ、地位につく話は、創世記のヨセフにも通じる話だと思います。
第1テモテの手紙には「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 2王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」とあります。
捕囚となった地で、その王のために祈ることは、私たちの信心と品位を保つためにもある、と。

 キリスト者には自由がある。それは、私たちはすべての人に仕える自由という話をきいたことがあります。王はもちろん、この世の方に仕えるならば、結果として地位があたえられるのかもしれません。神様である方が、私たちの罪を背負って、十字架の道を歩まれた姿が、私たちにはお手本になっています。また、私たちのこの世での役割に焦点をあてるとき、地位よりも今いる場所で隣人へのかかわりをどうするかということにあるようにも思います。

 真の意味で、仕える心をもったモルデカイが、ペルシャ王国で王の次の地位を得て、民の幸福を追い求めたという姿に学びたいと思いました。


箴言26章

14扉はちょうつがいに乗って回転する。
怠け者は寝床の上で寝返りを打つ。


これは、なんとなく絵が浮かんで、笑ってしまいました。
ちょうつがいの方がいい仕事をしているようです。
怠け者にならないように、地の塩、世の光というアイデンティティに立ち返って歩もうと思います。
もう一つ、エステル記に出てきたハマンに送りたい言葉をみつけました。

27穴を掘る者は自分がそこに落ち
石を転がせばその石は自分に返ってくる。


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