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空しい人生の日々:聖書をめぐる旅 3/21

3/21(月)
ヨブは人生のはかなさ、無常を嘆いています。
コヘレトは、人生の不条理を語っています。問題は、何故こんなことが聖書に書いてあるか、です。 

ヨブ記14章 

5人生はあなたが定められたとおり
月日の数もあなた次第。
あなたの決定されたことを人は侵せない。
7木には希望がある、というように
木は切られても、また新芽を吹き
若枝の絶えることはない。
8地におろしたその根が老い
幹が朽ちて、塵に返ろうとも
9水気にあえば、また芽を吹き
苗木のように枝を張る。


 ヨブの叫びに耳を傾けていると
人生のはかなさに気付かされます。

確かに私たちの人生がどれだけあって、残り時間がどれだけあるかもわかりません。私たちは、どこからきて、何のために生まれ、どこにむかっているかもわかりません。

木はたとえ切り倒されても、次の世代を育む希望がありますが、
人間が死んでも、ただ朽ち果てるだけです。

神様、あなたはこんなに空しい者を痛めつけようとしているのですよ!とヨブは訴えています。
今のところ、神様からの答えはありません。


コヘレトの言葉9章

3太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。
9太陽の下、与えられた空しい人生の日々
愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
それが、太陽の下で労苦するあなたへの
人生と労苦の報いなのだ。
10何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。
いつかは行かなければならないあの陰府には
仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。
14ある小さな町に僅かの住民がいた。そこへ強大な王が攻めて来て包囲し、大きな攻城堡塁を築いた。 15その町に一人の貧しい賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。

 ヨブ記に呼応するように、コヘレトの言葉も人生の不条理を語っています。
3節には、人間の狂気が語られ、行きつく先は死であること
9-10節には、空しい人生の中での小さな希望としての夫婦の歩み、そして、
手をつけたことに熱心になることの大切さが語られています。
14節には、包囲された街を救った貧しい賢人がいたが、彼のことはだれの口にも上らなかったといいます。
この貧しい人は、ある意味イエス様のようにも、見受けられます。罪から人間を救った方なのに、誰からも理解されなかった。

 なぜ、町を救った貧しい人の報われない歩みが聖書の中に書いてあるのでしょう?聖書が今を生きる私たちへの警告の書であるならば、これは不条理の人生の中にあっても、笑顔で町を救ったこの貧しい人に倣う自由が私たちにはある、ということではないでしょうか。
ヨブの言葉を借りると、神は与え、神は取り去られる。
しかし、私たちは、今日という日に、ただ自分の使命を行う者です。

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