人間に頼らず:聖書をめぐる旅 1/8
1/8(土)
札幌は、穏やかな朝です。
歴代誌下11章 ソロモンの息子レハブアムが王位を継承した後、彼と周囲の国々の関係は冷え切ってしまいました。何が問題だったのでしょうか?
詩編は、「わたしの味方」というキーワードから考えてみました。
歴代誌下11章
4『主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。』」彼らは主の言葉を聞き、ヤロブアムに向かって行くことなく帰って行った。
13イスラエル中の祭司とレビ人は、そのすべての領土からレハブアムのもとに集まって来た。
17彼らは三年間ユダの国を強くし、ソロモンの子レハブアムを支援した。彼らが三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだからである。
22レハブアムはマアカの子アビヤを頭として立て、兄弟たちの指導者として、王位を継がせようとした。
→レハブアムがヤロブアムに対して攻めることを止めさせたのは主の警告でした。主は、自分が選んだ民どうしが討ちあうことを望まなかったのだと思います。ソロモンまで統一されていたイスラエルでしたが、分裂してレハブアムは南ユダ、ヤロブアムが北イスラエルを治めることになります。
しかし、北イスラエルのヤロブアムは、神様に逆らう偶像へのささげものをする「聖なる高台」なるものをつくりはじめ、イスラエル全土に配置されていたレビ人たちが、南ユダのエルサレムに戻ってきてしまいます。神様を礼拝することをしなくなったイスラエルの地は急速に、偶像のくびきを負うことになります。
一方、南ユダのレハブアムはたくさんの側女の中から不思議なことにヤロブアムの娘マアカを溺愛します。何かゆがんでいる感じがします。そして、マアカの息子アビヤを指導者にして王位を継がせようと考えます。敵の娘の系列の指導者を立てることは、神様の望むことだったのでしょうか?
北イスラエルも、南ユダも神と共に歩まない時代は、何か不穏な空気につつまれています。
詩編118編
6主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。
人間がわたしに何をなしえよう。
7主はわたしの味方、助けとなって
わたしを憎む者らを支配させてくださる。
8人間に頼らず、主を避けどころとしよう。
9君侯に頼らず、主を避けどころとしよう。
→
子どものころに、弟と喧嘩をすると、父にこっぴどく叱られました。
その時に、父が「例え」に話していたのは、ウルトラマンや仮面ライダーといった私たちにとってのヒーローでした。
「正義の味方が、年下の弟と喧嘩するか?弟を泣かすか?」、と。
これには、何も言えませんでした。
正義の味方は、弟とも喧嘩をしないし、弟を泣かすこともしません。
何故なら、彼は正義の味方であり、彼は私のヒーローですから。
今日の聖書には、「正義の味方」ではなく
「わたしの味方」・・・と普段聞きなれないフレーズが書いてあります。
誰かの味方でもなく、わたしの味方。
神様がわたしの味方ってことです。
!!!
正義の味方は、困っている人を助け、主人公のピンチの時に必ず駆けつけてくれる存在です。
わたしの味方も、困っている私を助け、私のピンチの時に必ず駆けつけてくれます。全世界を作った方がわたしの味方とは・・・
その恵みに、感謝しかありません。
人間に頼らず、主を避けどころとしよう。