天幕を住みかとして:聖書をめぐる旅 9/26
9/26(日)
今朝の札幌は、薄い曇りです。でも、朝日も出て気持ちいいです。
さあ、今日のサムエル記下7章は、神様のために家を建てると言い出したダビデに神様の言葉が与えられます。
また、詩編では神様の目から見たときの人間はどのようにうつるのでしょうか。見ていきましょう。
サムエル記下7章
わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。 わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
→ダビデの王権が強固なものとなり、王の家もレバノン杉の立派な家に住むことができるようになりました。しかし、神様の箱は天幕の中にあり、ダビデは神様のために、神殿を立てたいと言い出します。そのときに、預言者ナタンに神様が語られた言葉が上の御言葉です。
これを読むと、天の神様はテント生活をされている謙虚であり、私たちと共にどこにでも行ってくださることを大切にされている方であることがわかります。どこかにデーンと大きな神殿を作って、そこに来なさいという方ではなく、あなたたちが行くところどこにでもついていくという方です。
ただ、この御言葉の最後に、ダビデの子が神殿を立てて栄えることが語られています。ダビデにとっては、子どもの世代まで祝福されることを喜び、
次のようにに語っています。
神様の御言葉を受けて、勇気を得て実行すると、実現する・・・これが神様の方法かと思いました。
万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。
詩編14章
主は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに、汚れている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。
→今朝の夢は衝撃的でした。
湖のほとりにいた私は対岸の火山が噴火しているのを目にします。「アレ、噴火でないか!」と周囲の人に声をかけると、突然火山から火砕流のようなものが、対岸の土地をカーテンを引くように覆ってしまいました。慌てて私は、子どもたちに電話し「逃げろ!とにかく高いところに逃げろ!」と叫んでいます。そして目が覚めました。
神様は天から人間を見渡して、善を行う者はいない、ひとりもいないと嘆かれています。人間にもよいところがある・・・とかつての私は反論していました。しかし、誰一人正しい者がいないということは、今は恵みだと思います。それは、イエス様の十字架の恵みにあずかれるからです。私もかつては、罪人の一人でした。ですから、人を責める資格はありません。しかし、イエスキリストの十字架の贖いによって、今は神様から与えられた命を生きています。もう、罪の奴隷ではありません。
今日の夢が何を表しているのか?目を覚ましていなさいという聖書の箇所と、花嫁の例えを思い出し、家族の中に大切なことを伝えていくことを思わされました。
今日も、読んでくださった皆さんとご家族に主の愛が溢れますように!
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