天からの火:聖書をめぐる旅 1/4
1/4(火)
歴代誌下7章は、天からの火が献げ物といけにえをひとなめにしたというシーンから思わされたこと、詩編114編は神様の言葉について感じたことを書いてみました。
歴代誌下7章
1ソロモンが祈り終えると、天から火が降って焼き尽くす献げ物といけにえをひとなめにし、主の栄光が神殿に満ちた。
→焼き尽くすささげものは、祭司が燃やしたのだと勝手に想像していましたが、ここでは天から火が下って献げ物といけにえをひとなめにしたと記述されています。
天からの火が下るシーンは、エリヤがバアルの祭司たちと対決したシーンを思い出します。
もう一つ火が下るシーンは、ソドムとゴモラです。
こちらは、人間の罪が満ちて、神様が裁きの火を人間の上にくだしています。
天からの火には、人間のささげものを受け入れてくださる火と、裁きの火があります。
熱情の神様をお迎えするとは、私たち自信もその温度に耐える熱さをもって
主に仕えるかどうかを問われているようにも思いました。
改めて、襟を正す思いです。
17もしあなたが、父ダビデが歩んだように、わたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と定めを守るなら、
19もしあなたたちが背を向け、わたしの授けた掟と戒めを捨て、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、
→「もしあなたが、、、」という問いが繰り返されています。
この問いは、掟と定めを守ると王座を存続させる。しかし、掟と定めを捨てて他の神々に仕えるなら神殿も投げ捨てる、となっています。これは、ある意味神様の警告であり、人間に罪がなければ守られるのかもしれません。しかし、神様の警告がいかに正しくても、人間自身の心に罪があると、背いてしまう・・・これが人間の悲しいサガです。この悲しい存在である私たちのために、終わりの時代にイエス様が無条件でご自身がいけにえとなってくださったことに感謝します。
詩編114編
5どうしたのか、海よ、逃げ去るとは
ヨルダンの流れよ、退くとは
6山々よ、雄羊のように
丘よ、群れの羊のように踊るとは。
→海が逃げ去り、ヨルダンの流れが退くとは、
イスラエルがエジプトから脱出したときに、紅海が湧かれたシーン、
イスラエルが荒れ野の40年を経過して約束の地に入るとき、雪解けのヨルダン川がせきとめて、川を渡れたというシーンを思い出します。
そのどちらにも、神様の箱、すなわち神様のご臨在がありました。
海に命令し、川に命令して言うことを聞かせることができるのは、
神様以外におられません。
詩編の言葉は人間が理解できる文字で書かれていますが、
その言葉は決して人間が発する言葉ではないのが、詩編の奥深さでしょうか。
これを口にだして声にすると、神様の視点に引き上げられるような感覚になります。