この人のために執り成し:聖書をめぐる旅 4/9
4/9 (土)
とりなしの祈りとは、その人に成り代わって、その人の祈りを代理で祈ることです。ヨブに意見するエリフの言葉を聞きながら、ヨブは自分の人生を生きることについては、まっすぐでした。しかし、神様のヨブに対する目的は、違っていたとしたら・・・と考えさせられました。イザヤ書は、イエスキリストの伝道のスタートする時の言葉で、「つながった!」と思わされました。
ヨブ記33章
19苦痛に責められて横たわる人があるとする。
骨のうずきは絶えることなく
20命はパンをいとい
魂は好みの食べ物をすらいとう。
21肉は消耗して見えなくなり
見えなかった骨は姿を現し
22魂は滅亡に
命はそれを奪うものに近づいてゆく。
23千人に一人でもこの人のために執り成し
その正しさを示すために
遣わされる御使いがあり
24彼を憐れんで
「この人を免除し、滅亡に落とさないでください。
代償を見つけて来ました」と言ってくれるなら
25彼の肉は新しくされて
若者よりも健やかになり
再び若いときのようになるであろう。
→
これはエリフの言葉ですが、
ちょっと気づかされたことがあります。
今まで私には罪がないとヨブは熱く語っていますが、
私たちがこの世に遣わされたのは、自分らしく生きることではなく、
隣人のために、祈るためだとしたら・・・。
隣の人がこんなに苦しんでいるのに、神様は何故助けてくれないんだ!
神様はなんて冷たいんだ!と叫んでも、
神様は何もお答えにならない。
神様はあなたに自分らしく生きてほしいのではなく、
隣人のために祈ってくれるように、あなたを遣わしたのかもしれない・・・
そんなことを思ってしまいました。
あなたが、祈れば天から資源が与えられる。助けが与えられる。
あなたは、隣人のためにとりなすために遣わされたのだ。
自分らしく生きることではなく、神様が創られた目的に立ち返りなさい。
・・・そんなことを思わされました。
イザヤ書8章
21この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。 22地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。 23今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。
先に
ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが
後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた
異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
→イザヤ書の中に、見覚えのある地名がでてきました。
ゼブルンの地、ナフタリの地、そして異邦人のガリラヤ。
ゼブルンとナフタリで聖書を検索すると、マタイによる福音書の4章がでてきました。
15「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
16暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
ここは、イエス様が伝道を始めた場所です。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と、はじめた場所です。
イザヤ書はすでにイエス様のことを預言していたのだと思うと、
すごい話です。
異邦人のガリラヤとは、復活したイエス様が向かったところでもあります。
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