
2/2(日)罪をとどめないでください~聖書をめぐる旅
申命記 21:1-8
'あなたの神、主があなたに与えて、得させられる土地で、殺されて野に倒れている人が発見され、その犯人がだれか分からないならば、 長老および裁判人たちが現場に赴き、その死体から周囲の町々への距離を測らねばならない。 死体に最も近い町の長老たちは、労役に使われたことのない雌牛、すなわち軛を負わされたことのない若い雌牛を選び、 長老たちは、その雌牛を水の尽きることのない川の、耕したことも種を蒔いたこともない岸辺に連れて行き、その川で雌牛の首を折らねばならない。 それから、レビの子孫である祭司たちが進み出る。あなたの神、主が御自分に仕えさせ、また主の御名によって祝福を与えるために、お選びになったのは彼らであり、争いごとや傷害事件は、すべて彼らの指示に従わねばならないのである。 死体に最も近い町の長老たちは皆、川で首を折られた雌牛の上で手を洗い、 証言して言わねばならない。「我々の手はこの流血事件とかかわりがなく、目は何も見ていません。 主よ、あなたが救い出されたあなたの民、イスラエルの罪を贖い、あなたの民、イスラエルのうちに罪なき者の血を流した罪をとどめないでください。」こうして、彼らの血を流した罪は贖われる。 '
自分の住んでいる町のそばで人が殺されていたなら、どうするか?
そんなことがこの聖書箇所に記載されています。殺人の罪の贖いとして、若い牝牛の首を折って、この牝牛の上で、自分たちの潔白と罪がこの地にとどめないように証言しなければなりません。
この時代の人たちは、罪の恐ろしさを痛感していたのだと思います。しかし、どんなに人間が自分の意志で罪を犯さないようにしても、それを抑えることはできません。自分たちの中に、罪の性質が入ってしまったからです。罪を犯したくないのに、犯してしまう・・・この状況から根本的な解決を与えてくださったのが、十字架の死と復活の恵みです。
死は私たちと罪との関係をきっぱりと断ち切ってくださいました。
ハレルヤ!
今日も、恵みの1日を感謝します。
《参考》