発見された律法の書:聖書をめぐる旅 1/31
1/31(月)
ヨシヤ王は、主の目にかなう改革をすすめた王様です。神殿を修理しているところから、モーセの契約の書が発見されます。彼がとった行動は、主の民として、見習う姿勢でした。詩編141篇は、ダビデのまっすぐな信仰を見ることができます。
歴代誌下34章
14主の神殿に寄せられた献金が取り出されている間に、祭司ヒルキヤがモーセによる主の律法の書を見つけ、 15書記官シャファンに、「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書物をシャファンに渡したので、 16シャファンはそれを王のもとに届け、また王に報告をした。
18更に書記官シャファンは王に、「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書を読み上げた。 19王はその律法の言葉を聞くと、衣を裂いた。
29そこで王は人を遣わして、ユダとエルサレムのすべての長老を集めた。 30王は、ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司とレビ人、老いた者から若い者まで、すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。 31それから、王は自分の場所に立って主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓った。
→マナセの次の次の王がヨシヤ王です。この王は、主の目にかなうことを行い、父祖ダビデの道をそれなかった王様です。
彼は偶像を打ち砕き、聖なる高台を壊し、主の神殿を修復しました。
その時に、神殿の中から神様の契約の書が発見されます。大切なものを、大切にしまっておくことはよくありますが、大切なだけにそこに書いてあることを読まないまま時が流れることがあります。今日、毎週のようにあちこちの教会で、聖書が朗読されたり、聖書研究会があって、聖書が読まれています。また、毎日聖書を読むことを習慣にしている方もいると思います。聖書に、どんなに大切なことが書いてあっても、読まれなければ意味がありません。
ただ、このヨシヤの時代には、聖書が神殿に保管されて読まれないまま、時が流れています。
聖書で神様は、人間の自由意志を尊重されています。エデンの園でもそうですし、申命記でも、祝福と呪いのどちらを選ぶかが書かれています。ヨシヤ王は、この聖書を読み上げさせ、衣を裂いたと言います。自分たちが、神様に背いた生き方をしていたことを知ったからです。
終わりの時が近づいた今、私たちもこの聖書の御言葉をこの世に伝える必要があるように思いました。人間が統治するこの世には終わりがあること、死んだ後に神様の前での裁きがあること、その先には人間の行いによって分けられ永遠の命か、永遠の火の池につながること。神様は、永遠の命につながる鍵として、イエスキリストを私たちに与えてくださっていること。
ヨシヤは聖書を読んだ後、預言者に神様の意向を聞きます。神様は、聖書のとおり人間を裁かれることを宣言します。ただ、悔い改めたヨシヤの生きている間に、禍いはないことを伝えます。
ヨシヤは、生きている間、イスラエルにいるすべての者を、その神に主に仕えさせたとあります。
私たちも、すべての人をキリストの元に導くために用いられたいです。
詩編141編
3主よ、わたしの口に見張りを置き
唇の戸を守ってください。
4わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。
悪を行う者らと共にあなたに逆らって
悪事を重ねることのありませんように。
彼らの与える好餌にいざなわれませんように。
5主に従う人がわたしを打ち
慈しみをもって戒めてくれますように。
→ダビデの詩です。
彼が、いつの時代でも人々から愛されるのは、
その率直さではないかと思います。
人間として、自分の弱さをみとめていた人のように思います。
今日の詩も、自分の唇の戸を守ってくださいと祈っています。
自分がついつい、余計なことを話してしまうことを悟っていたのだと
思います。
さらに、主に従う人が自分を戒めてくれるようにと祈っています。
王である方が、自分を戒めてくれる人を大切にしている姿に
私たちも、親近感を持ちます。
主なる神に対する人間ダビデのまっすぐな交流を、私たちも見習いたいと
思いました。