新しい契約:聖書をめぐる旅 5/28
5/28(土)
バビロン捕囚になるユダの人々にエレミヤを通して、神様は別の言葉を伝えています。それは、必ず捕囚の地から連れ帰ること。エルサレムが再び興されること。さらに全世界に散らばったイスラエル民族が呼び集められることがあります。そこには、真の牧者が遣わされることも。エレミヤの時代から見ると、今日はその計画が大きく成就しつつある恵みの時代です。
エレミヤ書30章
1これは、主からエレミヤにあった別のことばです。 2イスラエルの神はこう命じます。「わたしがおまえに語ったことをみな、記録に残しなさい。 3わたしの民イスラエルとユダを、元どおり、先祖に与えたこの地へ連れ戻す時がくるからだ。彼らはこの地を所有し、再び住みつく。
15なぜ抗議するのか。
当然の刑罰ではないか。
おまえの罪は目も当てられないほど醜いので、
悲しみはいつまでも終わらない。
こんなにも懲らしめるのは、
おまえのとがが途方もなく大きいからだ。
16だがいつか必ず、おまえを滅ぼす者は
みな滅ぼされ、おまえの敵はみな奴隷となる。
おまえから略奪する者は略奪され、
おまえを攻撃する者は、逆襲される。
17わたしはおまえの傷を治し、元の健康な体にする。
今は、おまえは『捨てられた者』
『だれも欲しがらないエルサレム』と呼ばれている。」
18しかし、神は約束します。
「わたしがおまえたちを捕虜になっていた地から
連れ帰り、元の状態に戻す時、
エルサレムは廃墟の上に再建される。
宮殿は以前のように建て直され、
19町には喜びと感謝の声があふれる。
わたしの民は増え、名誉ある偉大な民となる。
やがて捕虜の地から連れ帰ると神様が宣言しているのに、
ユダの人々は抗議したのかもしれません。
「何故、私たちが今の家を追われて異国の地にひいていかれなければならないのですか?」
「やがて連れ戻すなら、最初から連れて行かないほうが効率的ではないか?」
神様は、ユダの人々に対してあなたの罪が重いからだと応えています。
抗議する民の姿を見ながら、自分も時々こうつぶやいている
ことに気付くことがあります。自分の犯した罪は横においておいて、、、。だから、十字架のイエス様の前に進み出ることが大切だと思わされました。鞭打ちの傷、茨の冠、突き刺された手首と足の釘の跡、すべて自分の罪をイエス様が背負われたことに立ち返るとき、今の自分のありがたさを感じます。
そして、私たちはやがて天でイエス様に再会するという希望があります。
エレミヤ書31章
10世界の国々よ、主からの次のことばを聞き、
言い広めなさい。
主はご自分の民を散らしたが、再び集め、
羊飼いがその群れを飼うときのように見守ります。
11イスラエルを、
とても歯が立たない敵の手から救い出すのです。
16しかし、神は約束します。
「おまえはもう、泣かなくていい。
わたしは確かにおまえの祈りを聞いた。
おまえはまた子どもに会える。
彼らは遠い敵の国から、
おまえのふところへ帰って来る。
17おまえの将来には希望がある。
おまえの子どもは生まれ故郷へ帰って来る。
33新しい契約とはこうだ。わたしは、わたしのおきてを彼らの心に刻みつける。そのため彼らは、わたしをあがめたいという気持ちになる。こうして、彼らは文字どおりわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
38-39主は言います。「エルサレムの町全体が、わたしのために再建される時がくる。北東の端にあるハナヌエルの塔から、北西にある隅の門まで、また南西にあるガレブの丘から、南東にあるゴアに至るまで、すべて建て直される。
荒廃の街が再建されることは、イザヤ書の中でも語られています。覆水盆に返らずという言葉もありますが、神様は全世界にちらしたイスラエルの民を再び集められる方です。
何より1900年もちりじりになっていたイスラエルの国が20世紀に再建され今も続いているという奇跡の時代に私たちは生きています。
神様は、バビロン捕囚をも用いて、民の心を鍛えなおし、再び神と一緒に歩む道を用意してくださる方です。
新しい契約とは、新約のことだと思いますが、キリストなるイエス様ご自身が地上にこられるに加え、石板に書いた契約ではなく、心の中に書いた契約によって、民を導くことが書かれています。これは、聖霊様と共に歩むことだと思います。石に書いた契約ではなく、聖霊様が心の中に住んでくださるという新しい契約です。ハレルヤ!今は恵みの時代に感謝します。