愛する者を懲らしめられる:聖書をめぐる旅 2/12
2/12(土)
エズラ記では、イスラエル民族の決断。そして、箴言3章ではかわいい子を懲らしめる父について考えてみました。
エズラ記10章
2エラムの一族のエヒエルの子シェカンヤはエズラに言った。「わたしたちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました。しかしながら、今でもイスラエルには希望があります。 3今、わたしの主の勧めと、神の御命令を畏れ敬う方々の勧めに従ってわたしたちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします。律法に従って行われますように。
7すべての捕囚の子らがエルサレムに集まるように、ユダとエルサレムに布告が出された。 8三日以内に出頭しない者があれば、長たちと長老たちの勧めによって、その全財産を没収し、その者を捕囚の民の会衆から追放することになった。
16しかし、捕囚の子らは提案されたとおりに行った。祭司エズラと共に、各家族の家長である人々が選び出され、皆その名が記録されている。彼らは調査のために第十の月の一日に席に着き、 17第一の月の一日に、異民族の嫁を迎え入れた男子の調査をすべて終えた。
→この章をどのように理解すべきか。
信仰の継承のために、外国人の妻と結婚した者は、嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁するということが行われました。
もともと、神様からイスラエルの民はその地の民族と結婚してはいけないという命令を受けていましたが、それを破って結婚している者が多かったようです。あのソロモンでさえ異国の妻を迎えている様子から、大衆がそうするのも無理はありません。
ここでは、人間的な価値観から見た厳しさ以上に、
神様の視点から見た信仰の継承という問題に重点が置かれたのだと思います。そして、家族の回復から、エズラは襟を正すことを行っています。
雨の中、祈りはささげられています。
箴言3章
1わが子よ、わたしの教えを忘れるな。
わたしの戒めを心に納めよ。
7自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。
12かわいい息子を懲らしめる父のように
主は愛する者を懲らしめられる。
→私の父は、子どもを非常に愛する父でした。
好き嫌いがハッキリしていたのでそれに応えなければならないという気持ちがありましたが、父のの根底には愛情が流れてていたことを覚えています。
「かわいい息子を懲らしめる父」、私は理解できます。
悪いことをすれば、こっぴどく怒られましたし、
逆にほめるのも上手でした。
今振り返って、よかったことの一つは、失敗から立ち直ることを教わったことです。それは、小学5年生くらいでしょうか。そろばんの検定試験に落ちたときのことです。
試験に落ちて怒られはしませんが、父との特訓が始まりました。
毎朝、早くに起きてそろばんの練習をします。父が時計を計り、私は限られた時間でそろばんの問題に取り組む。
忘れられないのは、ゴールデンウイークで旭川に家族旅行に行った時も
朝早くランニングをしてから、そろばんの練習をしたことです。
他の人が見ていないところで、する努力は効果があります。
他者との戦いも、決して相手と比較するなと教わりました。
勝負事は、他者との戦いではなく、自分との戦いだと。
努力しないのも自分、怠けるのも自分、その弱い自分に勝った時に
他者にも勝つことができる。
私にとっては、この教えは非常に大きな支えになりました。
肉の父がそこまで私のことを鍛えてくれるのですから、
天のお父様は、それ以上の試練を与えてくれるはずです。
同時に成長と逃れの道を用意してくださる方です。
今になっても、挑戦があることに感謝します!
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