方丈記を読んで「あきらめ」の理解をアップデートした!!
この本を読むことになったきっかけは、RSGT2022の旅する本棚の前で岩切さんとちょっとだけ交わした雑談がきっかけです(この場を借りて、感謝!)
みんなもご存知、冒頭の一文と主題
これは有名な1章の冒頭です。いきなり言い切っている。そして、この後13章まで(こんなに続いているとは知らなかった。。)は、2章以降はこの主張が正しいことを、自分に必死に言い聞かせている様な文書が続きます。そして、そこが人間味があって素敵!
方丈記は全体を通じて、「あきらめ」という考えが表現されているのですが、やっぱり「あきらめ」ってそんな簡単じゃないよねっていうのがにじみ出ていて(主観です)、そこが最高でした。
「あきらめ」の理解のアップデート結果
だいぶ解像度上がりました。そして、個人的には不惑とあきらめってにているなぁと思ってきました。
関連して、動的平衡という概念とのつながり
並行して、「福岡伸一、西田哲学を読む」という本を読んでいるんですが(生命の動的平衡と西田哲学の共通点から相互理解を深めていく感じのないよの本です)、そこでもちょうど方丈記の引用が出ていて、「確かに、どっちも動的平衡じゃん」という、セレンディピティを感じてしまいました。
ただ、生命の動的平衡はあくまで客観的なのにたいして、「あきらめ」のような諸行無常は同じテーマを扱っていながら、主観的な要素が入ってくるので、また複雑にもなり、割り切れない要素も入り、深みが増す感じが素敵でした。
参考まで、こちらの書籍からもいくつか引用を
なんか、引用を踏まえて、方丈記の冒頭をもう一度読むと、ミクロでの生物の営み、生体としてのマクロの営み、社会としての営み、等々動的平衡という軸でフラクタルな関係でつながるんですよね。って言う話をしていると、アレグザンダー好きの方が寄ってくるので、まさかりを振り下ろされる前にこのへんで閉じようと思います!!