1:八犬士伝序 その1

岩波文庫『南総里見八犬伝』を読んでいってのメモです。
素人が意訳で読み進めているのでかなりの部分間違っているかと思います。
お気づきの方は教えていただけますと幸いです。

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まずは解説と登場人物一覧のページがあり、
『南総里見八犬伝』の本文は作者のまえがきから始まります。
コレがすべて漢文?で書かれているもので、漢字の“圧”がすごいです。
しょっぱなから現代人の心を折りにきていると言わざるを得ない。
ぶっちゃけ本筋と関係ないのでとばしてもいいんでしょうが、せっかくなので読んでいきます。

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八犬士伝序:意訳


はじめ、里見氏が安房に興った時は、徳義をもって民衆を率い、英略をもって鎧兜を砕き、敵を圧倒して二総(上総と下総)を平定し、これを十世代に伝えて、関東八カ国を服従させた。まことに百将の冠と言って良いだろう。この当時の里見氏には勇臣が八人あり、各々が「犬」という字をもって姓としていたので、因んでこれを「八犬士」と称する。その賢才は、①中国神話に登場する皇帝・虞舜が登用したという八人の才人には及ばないと言えども、その忠義の精神と胆力は、②楠公八臣と同じくと言うべきであろう。
惜しいことには、この八人のことを筆に載せた者が当時はめったにおらず、通俗的な軍記物、及び③国学者の槇島昭武著の『和漢音釈書言字考節用集』で僅かにその姓名を知ることができるのみで、今に至ってはその全ての顛末を見るすべは無い。
私はかつてこれを残念に思っていた。なんとか残された小さな痕跡を追いかけようとした。常に古い記録文書を追い求めてやまず、然れどもなお、考拠があるようなものは無かったのであった。
そんなこんなで、一日ぼんやりして眠くなった時、④(ゆめうつつ?)の間に、南総より来た客があり、次々と話をし、その話は八犬士の真実に及んだ。その説は軍記物に伝わっている所のものと同じではなく、そのことを聞いてみると、以前に里の老人の言い伝えに出てきたものであると言う。
「ご主人、これを記してくれないか」と請うので、私は言った、「よろしい、私はすぐにこの異聞を広めよう。」 客は喜んで、そして帰っていった。私はこの客を草庵の門の下まで送った。門のそばには犬が伏せて居り、私は気忙しくしていてそのしっぽを踏んでしまった。たちまち苦しげな声が足元に起こり、非常に驚いて目が覚めた。そう、⑤南柯の一夢であったのだ。
頭を巡らして四方を見れば、質素な家の中に客は無く、門に犬の声は無い。
ここに、つらつらと客の話を思えば、⑥夢寐といえども捨ておくべきではない。すぐにこれを記録しようとしたが、既にだいぶ忘れてしまっていた。忘れてしまったことはどうする事もできないので、こっそり、中国の故事と取り合わすことでもって、この小説を綴る。
たとえば⑦源礼部が、竜について語っているのは、⑧王丹麓の『竜経』に基づく。不思議な家鳩が檄文を滝田城に伝えるのは、⑨張九齢の飛奴の故事になぞらえたもので、伏姫が八房に嫁ぐのは、⑩高辛氏がその娘を盤瓠の妻にした説話に倣った。その他、枚挙にいとまがない。
数ヶ月で、五巻分の草稿をつくる。わずかにその話の起源を述べるのみで、未だ八犬士の列伝をつくるには至っていない。そうとは言え、書籍商が草稿を強奪していって諸々を版木に記してしまった。時が至ってまた、書名を決めてくれと乞うてくる。私は、漫然としてあえてそれを断らず、そして八犬士伝とこの書に命名する。
文化十一年、甲戌、秋、九月十九日。筆を⑪著作堂の庭前の紫鴛池に洗ぐ。
蓑笠陳人(さりつちんじん) 解説を記す

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調べた部分

中国神話に登場する皇帝・虞舜が登用したという八人の才人
参考元→ https://kanbun.info/shibu01/shiki001e.html

楠公八臣
楠公(なんこう)=楠木正成に仕えた八人の臣下らしいです。
それぞれの名前はこの記事にありました。『太平記』で江戸時代に人気あったんですかね。イラスト化されてたりもするみたい。

皇帝・虞舜=舜は儒教における聖人、楠木正成も『太平記』で儒教的に評価されていた人物。
八犬士が「8人」なのも、玉に浮かぶ文字が「仁義礼智忠信孝悌」=儒教の教義なのも、ちゃんと元ネタあるよって感じでしょうか。

国学者の槇島昭武著の『和漢音釈書言字考節用集』
原文は「槇氏ヵ字考」
Wikipediaの「里見八犬士」の出典の項に書いてあったので引き写しです。

(ゆめうつつ?)の間
ここ原文は「𥊷𥌩之際」となっているのですが、
𥊷𥌩って何?????
なんとかこちらで漢字は見つけられたのですが、読み方すらわかりません、お手上げ。ゆめうつつ、としたのは文脈的にはそんなような意味かなという推測オンリーです。詳しい方いらっしゃったら教えていただきたいです。

南柯の一夢(なんかのいちむ)
故事成語で「夢」のことだそう

夢寐(むび)
眠って夢を見ること。眠ること。また、その間。
(『精選版日本国語大辞典』より)

源礼部
これ文脈で言えば、里見義実公のことだと思うのですが
何て読むのでしょう、みなもとのれいぶ?
平安時代の私家集に『源礼部納言集』というのがあるみたいですが、誰のことか分からず。作中では義実公の血筋が源氏の流れを汲んでいるということだったので、源氏の誰かになぞらえてるのかと思ったのですが、もしかして人名とかじゃないんですかね。うーんさっぱり分からん。

王丹麓の『竜経』
王丹麓(おうたんろく)という人が記した、『竜経』という書があったみたいですね。こちらが詳しかった。

張九齢の飛奴の故事
張九齢(ちょうきゅうれい)という人が、中国での伝書鳩の祖だという話が『開元天宝遺事(かいげんてんぽういじ)』という説話集的なものに載っているそうです。引用はこちらで拝見しました。
飛奴(日本的に読むと、”とびやっこ”)は、ハト類の総称らしいです。

高辛氏がその娘を盤瓠の妻にした説話
盤瓠は、”ばんこ”と読みます。たぶん一発変換できるので試してみて下さい。八犬伝の元ネタとしては有名な気がする。→Wikipedia 

著作堂
滝沢馬琴のペンネームのひとつに「著作堂主人」というのがあるそうなので、まぁ書斎にしている庵というか住まいのことなのでしょう。
蓑笠陳人というのもペンネームですね。

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リンクつないでいる部分以外は
『精選版日本国語大辞典』『新漢語林』を参考にしました


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