目の手術をしました

皆さまにご報告というか、打ち明け話と言いますか、朗報?があります。

実は、先週6/8に目の手術をするまで、2019年12月から約3年半程の間、右眼を実質失明していました。アトピー性白内障という病気です。
左眼を閉じると、右眼の視界は真っ白に濁っていて何も見えないという状況でした。
人間、片眼でも案外なんとかなるものですね。笑
アトピー自体が良くなるまではなかなか手術が難しく…。時間が掛かってしまいました。
髪を短くしたのもそのためです。術後すぐは洗髪洗顔禁止だったので。勢い坊主にしようかと思いましたが、周囲から止められて思いとどまりした。

凄いタイミングで順位戦が入ってしまい、不安しかなかったです。
術後は毎日4回、3種類の抗菌の目薬を差さないといけないので名古屋まで目薬を持参して、対局中も差していました。
でも今までより明らかに眼精疲労が少なかった。終盤も頭が痛くならなかったです。愛用のユンケルの錠剤と頭痛薬が必要無くなるかも知れません。
やっぱり片眼でやってたのはおかしかったんですかね笑
今後成績が上がればカッコいいですねえ。

正直、片眼の視界になれてしまって… 常にぼやぼやしてるのが妙に心地良かったんですよね。
ただ、困った事が何個かあって
自分が5五の地点にいたとしたら右後方の3七の地点の辺りが全然見えないので、その辺りからズカズカ進んでくるおじさんをまったく避けれなくて、よく人にぶつかってました。
あとはコップに水を注ぐ時に遠近感が分からなくてよくこぼすようになりました。ただ元々そんな雰囲気の人間なんで誰にも異変に気付かれたりはしなかったです。

ごく数人にしか話しませんでした。
失明してわりとすぐに手術する日程まで決めたのに、アトピーが悪化して見送った事もあったりして。
いつ治るか分からないのもあり話しづらかった。

そのときどきですが、
隣を歩いてくれる関係性の人には、顔が見えないから左を歩いてね。と頼んだりしていました。自分から車道側に追いやるのはアレなので自分が車道側を歩こうとしてましたが、よく考えたら相当危険です。
失明したての頃、「他の感性がめっちゃ鋭くなるんじゃない」と言ってくれた人がいました。
今思えばnoteを書き始めたのはそれがキッカケの一つだったかもしれません。僕が今まで書いたnoteは全て左眼だけで書いたものです。

後は、眼鏡が嫌いだったけどもう掛けないと生活出来なくなってしまったので、その頃から日常的に眼鏡を掛けるようになりました。
白山眼鏡店でお気に入りの眼鏡を見つけられたので、眼鏡が似合わないのもあまり気にならなくなりました。
レンズを新しくして、今でも眼鏡はかけてます!裸眼でも多少は見えるようになりました。

あとは… 伊達政宗が好きになりました。
歴史上の人物で隻眼の人って結構多いんですよね。
石田流の創始者の石田検校なんて盲目の棋士ですし。僕も自分の事を「隻眼の三間飛車使い」と名付けて一人で盛り上がったりしてました。
左側の捌きは得意なのに右側の玉周りで寄せられる事が多いのは左眼だけで戦ってたからなのかも…笑
そういう事にしといてください。これからは右側もしっかり強くなるので。

ーー

まあ、そんな感じであんまり気にして無かったんです。アトピー自体の方が遥かにしんどくて。右眼の事は半分諦めてました。
でも、アトピーが徐々に徐々に良くなってきて。
そんな時、「ちゃんと治した方がいいよ」と強く言ってくれる人が現れました。
これは天命かなと思い、色々探して良い眼科医さんに出会う事が出来ました。3年半も放置してて、白内障がかなり進行してて難しい手術だったと思いますが、今は右眼が綺麗に見えています。中野駅近くにある「ふくおか眼科クリニック」というところです。
福岡佐知子先生はカッコいい女医さんで、米倉涼子さんみたいでした。

右眼をギョロッと動かして、3七の地点が見えるようになったのには感動しました。そういう右眼の使い方を長らくしてなかったので、そっちの方角も見えるって事を忘れてました。これがまさに視野が広がるってやつですね。
これでもうおじさんにぶつかられずに済みます。良かったよかった。

ーー

ってわけで!めでたしめでたし。

あ、手術は局所麻酔で、意識は普通にある中でしてもらったのでめちゃ辛かったです。目をずっといじられるんですよ?!
白内障手術トークできる人生の先輩方いらっしゃいましたら、今度是非話し合いましょう!!笑

山本博志

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