握りしめて離さない父の手は、
「お父さま、スマホを握りしめて離さないんですよ。何度か試したんですけど。強く握りしめていたみたいで。」
看護師が肩を落としてそう言った。
まさか、こんなに早く
“そんな日“が来るとは思わなかった。
まだ思い出の一つも書けていないのに。
…
父は入院してすぐ、スマホで手当たり次第に電話をかけて、自分の余命がいくばくもない事を周りに伝えていたそうだ。
何故か僕には電話をくれなかったけど。
「もうすぐ死ぬから、葬式の準備をよろしく頼むよ」と、上の兄にもお願いしていたようだ。
そして今日の朝、上の兄に電話をかけ、「スマホを渡したいから取りに来てくれ」と頼んだそうだ。
ちょうど下の兄が実家に来る予定であったので、実家に来る途中で病院に寄り、面会はできないので看護師さんづてでスマホをもらう手筈だった。
そのはずだったのだけど。
…
「お父さま、スマホを握りしめて離さないんですよ。何度か試したんですけど。強く握りしめていたみたいで。」
看護師が肩を落として下の兄にそう告げた。
確かに今朝は渡してくれると自分で言ったはずだ。けれども渡す段になって、
やっぱり渡したくないと、父がゴネたのである。
…
下の兄は看護師に「頑張れ」と告げたが、看護師は首を横に振った。
看護師がスマホを取り上げようとするのを振り切って、父は全力でスマホを死守し、ついには涙を浮かべてこう叫んだのだ。
「絶対に、渡すもんかっ!」
清潔な病室に、父のわがままがよく響いた。
…
父がこんなに早く回復するとは…
思ってもみなかった。
…
周りに散々俺は死ぬと喚き散らし、病室でも関係なく電話をかけるので、父は病院からこっぴどく叱られたようだ。
父は周りに俺は死ぬと告げることで、全ての視線が自分に向くことに快感を覚えたに違いない。そしてとても自分が可哀想になって、調子に乗ったのだと思う。
僕には電話をかけてこなかったものの、姉にはうんざりする程電話をかけ、姉が出ないと留守電に鬼のような件数のメッセージを残したそうだ。
病院に叱られて仕方なく上の兄にスマホを渡すことを伝えたわけだけど、そこで諦めきれないのが父である。
父と対決した看護師は肩を落としてこう言った。
「お父さま、すごい力でした…
抗生物質ですぐに良くなられて、それからは病院食を1日3食モリモリ召し上がって、今はすっかり元気におなりです。」
身体年齢100歳を超え、栄養を摂取できなくなった筈の父は、何故か不死鳥の如く蘇り、そしてもともと備わっていたデフォルトの性格“この上ない自己中“を発揮し、いよいよ命を輝かせはじめた。
そういえば、2年前ガンで死にそうになった時もそうだった。
手術前までやはり父は俺は死ぬと周りに喚き散らし、可哀想な自分をマックスに表現していたが、手術があっけなく成功すると、途端に看護師に向けて“この上ない自己中“を浴びせ、挙げ句看護師からこのわがままクソジジイと呼ばれていた。
それが父である。
…
父の話題で兄弟のグループラインは大いに盛り上がった。
それから、父から電話がきても病室からかけてきた場合は即座に電話を切ることを、上の兄が兄弟皆に言い渡した。
父の“この上ない自己中“に、家族は何十年も迷惑を被ってきたわけだけど、一番の笑いのネタになるのも父である。
これからどんなクソジジイに成り果てるのかすごく怖い。
けれど、それが楽しみでもあるんだよね。
…
父の思い出話はいくつかネタが上がっているので、後日アップしたいと思います。
どうぞ、お楽しみに。