父がもうすぐ死ぬらしい
僕は4人兄弟の末っ子だ。
しっかり者だと思っていたら鬱になって一度蒸発した兄と、自閉症の息子をアイドルに仕立てるファンキーな姉と、バツイチ4人の子持ちとパートナーシップを結んだもう1人の兄がいて、そして僕はゲイである。
それだけでも面白いのに、その“種“を植え付けた父はもっとイカれている。
マッチを組み立てて作られたようなガリガリの身体に、自分のことしか考えない卑怯者な性格。若い時にはタバコをバカバカとふかし、酒を飲んで陰口を叩き続けて数十年。
昨今はそのマッチな身体に限界が来て、本来79歳であるその身体を検査にかけたところ、身体年齢は100歳を超えたそうだ。
もう栄養を自分では取り込めないらしい。
自分では栄養を取り込めないので栄養失調になり、免疫はガタ落ち。先日晴れて敗血症性ショックにて入院し、いつ死んでもおかしくない身となった。
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僕は現在40歳で、30代のはじめまでは父を酷く憎んでいた。なんなら隙あらば殺そうと本気で思っていた。父のせいで僕の人生はめちゃくちゃで、何もかもがうまくいかないのだとずっと喚いていた。
けれども父を言い訳にしたって、この人生はどうにもならないのだと30代はじめでやっと気がついて、そこから人生を立て直し、なんとかゲイとして1人でも人生を全うできるのではないかというくらいまでになった。
一般的には所得は低い方だと思うが、仕事でそれなりに生きていけるくらいのお金をいただいている。パートナーはいないが、田舎の自然豊かな土地で平屋の一軒家を借り、畑をやって、ご近所さんとも楽しくやっている。
人生を立て直すために勉強を始めた自己啓発などの学びは今も続けていて、今は自分に合った先生を見つけてその学びを深めている。
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「お前の人生が幸せだったら、お父さんはそれが一番嬉しい」
2年ほど前から父は僕にそう言ってくるようになった。
最初は“なんだコイツ、かしこまってクソみたいに臭い事言いやがって“と思っていたが、僕に恍惚な顔を向けて何度も何度もそう言うのを見て、“父がそう言って気持ちが良さそうなら、それはそれでいいのかもな“と思うようになった。
これが世にいう親孝行なら、この父の恍惚な顔が親孝行なら、親孝行ってすごく笑えるモノだなと思った。実際、父の顔をみて何度か噴き出した。
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父が入院してもしかしたらすぐに死んでしまうかもしれないと聞き、実家より遠方に住んでいる僕でも流石に直ぐに帰ろうかと思ったが、コロナが謎にまだ残る社会だから、帰ったところで面会ができないらしい。
仕方が無いのでいつも通り過ごしているが、こんな時だからか父との過去の思い出が湧水の如く湧いてくる。
とんでもない父だったけれど、皮肉かな、だからこそいい思い出は鮮明に覚えているモノのようだ。
あまり接しないように努めてもいたので、逆に接した思い出が今になると際立って思い出される。
父がタクシーで帰ってくるとき、遠くの角を曲がった車の音を聴いて、これは間違いなく父の乗っているタクシーだとわかるくらい父のことが嫌だった。それは今でも聴覚過敏というカタチで僕に残っている。
これは特殊能力だと思う。
子どもの才能や能力を伸ばすノウハウ本はたくさん出ているが、親が子どもに心から嫌われる事で子どもの才能や能力が開花するという内容の本は見たことがない。
僕と同じような大人の中には僕と同じように感じている人がいるのじゃないかと思う。
“親がどうしようもなかったからこそ、自らが光輝く素質ができた“という事実。
その感謝を親に伝えたいけれど、なんだか変な話だよなぁと思っている人、いるんじゃないかな。
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せっかく父との思い出がじゃんじゃん出てきているこの時は、思い出を文章にしたためる絶好のチャンスのはずだ。
なんの役に立つのかは知らないけれど、僕の心の整理にもなると思うので、気まぐれにではあるけれど、父が死ぬまでの間、文章を投稿してみようと思います。
なんていいつつ、ピンピンになって復帰したら、それが一番面白いよね。