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【第43回】未成年者⑤ 限定的なパターナリスティックな制約 どのように考えるべきなのか。 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

裏付けはあるか?

パターナリスティックな制約が認められるのは、成熟した判断能力が欠けると類型的に判断され、その結果、長期的にみて未成年者自身の人格の自律的発展にとってそれを毀損させてしまうような場合に限られるべきとすると、そのような証明がなされていない、いわゆる「有害図書」がこれにあたると考えることは困難と考えられます。

年齢での線引き

あらためてですが、パターナリスイティックな制約が正当化されるためには、年齢面での発達段階や、より制限的でない規制手段があるかどうか、また、年齢によって画一的に判断すべき場合か個別的に判断すべき場合かなどの検討が必要です。

飲酒や喫煙は、医学的なエビデンスに基づいて、未成年者自身の人格の自律的発展を毀損させてしまうおそれがあることから、一定の年齢で画一的に線を引くことは合理性があると思われます。

これに対して、性に関する問題は、年齢とともに関心を持つようになるでしょうし、妊娠などについての知識も必要になるはずです。また、成人と同様に、性的描写については嫌悪感をもち、見たくないという気持ちを持つ未成年者もいることでしょう。

自動販売機の問題

最高裁は、自販機に収納された有害図書が街頭にさらされているため購入意欲を刺激し易いことを指摘していますが、これは当該図書が未成年者の人格を毀損するものだということが前提とされなければ理由にならないはずです。無害なもの購入が容易で購入意欲が刺激されるとしても、なんら規制を正当化できるはずはありませんから。

しかし、少なくとも最高裁は、いわゆる有害図書が未成年者の人格を毀損するのだ、という論理はとっていません。

自動販売機で販売することに問題があるのだとすれば、購入意欲を刺激し易いことではなくて、街頭にさらされ、見たくないという人の目に入ることが問題なのだと考えるべきです。

そうだとすると、「有害図書」指定のような表現内容規制についてのではなく、手段規制、すなわち販売、頒布の方法に対する規制によるべきと考えられます。つまり、未成年者固有の問題ではなく、わいせつ表現についての一般論によるべきということになります。

まとめ

この結論については受け入れがたいという反応も予想されますが、表現の自由の制限を行おうとするのですから、制限を主張する側がその必要性や合理性を立証すべきです。そして、いわゆる有害図書が未成年者自身の人格の自律的発展を毀損させてしまうのだ、ということが立証されてはじめて、限定的なパターナリスティックな制約として適切かどうかという問題なるはずです。

近年、いわゆる「有害図書」に、漫画やアニメも含める条例改正が行われたりしています。これは、他者加害といえるのかなど別の問題もありますが、少なくとも、パターナリスティックな制約として適切かという、これまで検討してきたような視点は必要だと考えます。

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