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【第22回】新しい人権 プライバシー権 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

どんな権利なのか

プライバシーの権利は、もともとアメリカで「ひとりで放って置いてもらう権利(the right to be let alone)」として主張されてきた権利です。

もともとシンボリックな表現で語られていた権利ですので、私生活へののぞき見を排除することや、モデル小説で私生活を暴露されることを抑制すること、さらには、堕胎の権利などにも拡散していきます。

日本で最初に裁判で登場したのが、「宴のあと」事件です。これは、三島由紀夫の小説のタイトルで、東京都知事候補だった有田八郎氏とその妻をモデルとして描いたことが、プライバシーの侵害として訴えられたものです。東京地裁は、プライバシー侵害を認めて損害賠償を命じましたが(東京地判昭39.9.28)、控訴審継続中に原告が亡くなって、遺族と和解が成立したので、最高裁までは争われていません。

プライバシーの権利は、現在では、自己の存在にかかわる情報をどの範囲で開示し、利用させるかを決める権利、「自己情報コントロール権」とか「情報プライバシー権」などと定義されています。

名誉権との違い

名誉権とプライバシー権は、表現の自由とは緊張関係をはらむという点で共通しています。また、プライバシーを侵害されたケースでは、同時に名誉も低下することもありますので、同じようなものに感じられるかもしれません。

しかし、プライバシーがいわば国や社会からの干渉を排除したいという性質であるのに対して、名誉はそもそも人に対する社会的評価ですから、社会との接触関係は不可避と言えます。このことから、具体的事例では、重なるケースと、明確に区別すべきケースがあります。

名誉権侵害になってもプライバシー侵害にならない場合

たとえば、ある人に対して、「こんなとんでもないウソをつき続けている。ヤツはウソつきだ、もうすぐ泥棒を始めるに違いない」というようなことを言いふらした場合、言われた人の社会的評価は低下しますが、個人情報について暴露しているわけではありませんから、プライバシーの問題は起きません。

プライバシー侵害になっても名誉権侵害にならない場合


ジーン・ウェブスターの児童文学で、「あしながおじさん」という物語があります。その例でいうと、孤児院の少女に、匿名で資金援助をしていた人―あしながおじさん―のことを知った人が、「あしながおじさんはAさんだ」と言いふらしたとします。Aさんとしては知られてほしくないこと、自己情報を勝手に開示されたわけですから、プライバシーの侵害にあたります。しかし、このケースでは、Aさんの社会的評価は低下するどころか、むしろ上昇するのではないでしょうか。

このような性質の違いが、表現の自由との調整、具体的には真実性の証明の違いとなって表れてきます。

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