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【第46回】未成年者⑧ 人権についての限定されたパターナリスティックな制約 人権論からみた性交同意年齢 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

人権の制約原理から考える

改めて刑法の性交同意年齢を憲法の人権論の観点から評価すると、性交についての自己決定権、人格的自律権を否定する、あるいは制約する、ということになります。

刑法では、13歳未満の者については無条件に強制性交罪が成立するとされています。ふつうはこのことを指して性交同意年齢といいます。同意があったとか、愛し合っていたという主張がたとえ真実であったとしても、無視するという意味で、絶対的保護年齢という用語が使われることもあります。

未成年者の人権、という観点からは、13歳未満の者については性についての自己決定権、少なくとも性交についての自己決定権を否定することを意味します。

性交についての妊娠の可能性、その先にある人生の困難さなどを勘案すれば、成熟した判断能力が欠けると類型的に判断され、その結果、長期的にみて未成年者自身の人格の自律的発展にとってそれを毀損させてしまうような場合にあたるとすれば、このような制限は合憲であると考えることができます。

より制限的でない他の選びうる手段

問題は、これを引き上げた場合です。14歳、15歳でも事情は同じではないかと思われるかもしれません。個人的な問題意識としては、日本の場合、性教育についてきわめて抑制的、これもよく言えば、という話で、あまりにも消極的なものですから、性交の意味であるとか、妊娠のリスク、もっと言えば、避妊方法などについてはこの年齢では公教育で学んでいません。パターナリズムの観点からすれば、このことを学ぶまでは保護すべき、というのも一理あるようにも思えます。

しかし、性交同意年齢を引き上げるということは、性に関する人格的自律権を否定される年齢が上がることを意味します。性交同意年齢の設定が、人権の制限としての側面があることを考えると、年齢面での発達段階や、より制限的でない規制手段があるかどうかについて検討されるべきでしょう。
この観点からは、正しい知識をもてないような公教育を提供しておいて、行動を制限するというのは本末転倒で、国として、そのような公教育のカリキュラムを提供すべき、というのが他の選びうる手段だと思われます。

パターナリズムの背理

それだけではありません、刑法改正により、男が女を犯すという強姦罪のモデルではなく、性中立化された強制性交罪となりましたから、女性が男性に性交を無理強いすることも対象となっています。その結果、仮に性交同意年齢を引き上げると、当事者が14歳どうし、15歳どうしの場合、双方に強制性交罪が成立することになります。また、男性と女性だけではなく、同性同士でも犯罪は成立することになります。

児童福祉法や青少年保護育成条例の場合には、脆弱な青少年に対して、その人格的自律を侵害するものとして、成人を処罰するものです。未成年者保護のパターナリスティックな制約としてもオーソドックスな方法といえます。
これに対して、刑法の性交同意年齢を引き上げると、新たな少年犯罪のカテゴリーが生まれます。未成年者保護のために、未成年者を処罰するというのは背理ではないでしょうか。

性犯罪を犯したというスティグマによって、かえって未成年者自身の人格の自律的発展を毀損させてしまうのは、パターナリスティックな制約を限定しようという憲法の人権論の観点から見ても、不適切であると言わざるを得ないと考えます。

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