婚姻「平等」法案のメッセージ    ーすべての人に婚姻の自由をー


1. 憲法24条は何を規定しているのか

木村草太教授から、「憲法の人権規定は貼紙のようなものである」ということをうかがったことがあります。

つまり、「貼紙禁止」という貼紙があれば、「これはだれかが勝手にこの壁に貼紙をしたのだな」ということがわかるし、「立小便禁止」という貼紙があれば、「ここで以前しでかした人がいるのだな」ということがわかるのと同じように、「検閲はこれをしてはならない」(憲法21条2項)という規定があれば、かつて検閲によって表現の自由が抑圧されたのだな、ということが理解できるというものです。

このお話は、憲法の規定は、国語辞典的に読むのではなく、その規定が設けられた歴史的背景を理解することが「解釈」にとって重要だということを示唆しています。

同性婚をめぐる裁判について、国は、憲法24条の規定が婚姻が「両性の合意のみに基づいて成立」するとしていることから、異性間のものを想定したものであって、同性婚は憲法で保障されていないのだという趣旨の主張をしています。

しかし、憲法24条が制定された趣旨は、明治時代の「家」制度を否定したものです。明治時代の民法では、家族の婚姻には戸主の同意が必要であり、一定の年齢(男は30歳、女は25歳)未満の子の婚姻には父母の同意が必要でした。結婚は当事者同士のものではなく、「家」同士のものだったのです(結婚式場で、「『〇〇家』『△△家』結婚披露宴」とあるのは、その名残かも知れません)。

このような制度を否定し、両性の「合意のみ」に基づいて婚姻ができるのだとしたのが憲法24条です。そうだとすると、「両性の」というのは、「両当事者の」という点に眼目があるのであって、「異性でなければならない」というのは、国語辞典的にはありうる解釈かも知れませんが、憲法解釈としては妥当でない解釈と考えられます。

2. 婚姻平等法案

2019年6月、婚姻平等法案(民法の一部を改正する法律案)を衆議院に提出しました。早期の成立が望まれるところですが、ここでは、この法案の作成の背景について綴っておきたいと思います。

婚姻については民法で規定されています。ここに、同性同士の婚姻を規定することになると、立案の作業もかなり複雑化します。そこで、特別法を制定して、民法の規定を準用するという体裁のほうが、法制的に整える作業の効率という観点からは、有力な選択肢でした。

法案を検討するプロジェクトチームでの議論の際、私が「でもそうすると、Separate but equal(分離すれど平等)みたいな体裁に見えないか」とつぶやいたことから、民法本体の改正案として立案することになったものです。

「Separate but equal(分離すれど平等)」というのは、かつてアメリカ連邦最高裁が採っていた考え方で(Plessy v. Ferguson判決(1896))、公共交通機関や劇場などで白人と有色人種を分離し、別々の施設を提供するようにしても、同じようにサービスが受けられるのであれば、平等である、というものです。

「白人優先」と書かれたバスの席を譲らなかったローザ・パークスが逮捕されたことを機に、キング牧師たちによる公民権運動が加速することになったのは有名な話です。

内容・趣旨は全く異なるのですが、法技術的に同性婚について特別法で制定するほうが容易だから、という理由で、「別の法律ですけれども異性婚と同じですよ」というのは、違う気がしたのです。民法そのものの改正とすることによって、「当たり前のこと」「普通のこと」というメッセージを込めています。

衆議院の法制局の皆さんも、このことについては非常に理解していただき、困難な作業を遂行してくださいました。

婚姻平等法案は、このような想いがあることは記録にとどめておきたいと思いこの文章をしたためました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?