【仕事】障害の特性と向き合う難しさ。家族の大切さ。
こんばんは。
最近、仕事で発達障害や知的障害を持っている方を支援する機会が多々あり、すごくすごくすごーーーーーく、、、いろいろ悩みました。いや、今も悩んでいます。
「どうして、そういう見方をするんだろう」
「なぜ、話が伝わらないんだろう」
「どうしてそんなに考え方が偏っているんだろう」
「何を言ってるんだろう」
噛み合わない会話。
同じ話題の繰り返し。
固執した感情。
激しい敵意。
障害の特性を調べて、理解しようとして、
それでも分からないことがたくさんあった。
特性は理解した。
でも、じゃあ結局どうしたらいいか分からない。
そんな簡単に何かを変えられない。
私が出会うのは、障害を持っている中でも犯罪や非行をした方々。だから障害者全員がそうではないことは大前提として。
犯罪や非行に至った障害者。
彼らを理解して犯罪を防ぎたい。
でも彼らにどうしたら声が届くのか分からない。
彼らには彼らの理屈があって、正義があった。
孤独な自分を懸命に守って人を攻撃していた。
私が会った人たちは家族の支援が得られない人が多かった。
家族との関係が完全にこじれている人。
家族にも障害があるため本人の特性を理解した関わりが期待できない人。
家族から見捨てられた人。
私が出会った彼らには支援者がほとんどいない。社会の中で完全に孤立して犯罪にまで至っている。
彼らの幸せとは何だろう
どうあれば、犯罪や非行に至らないのか
彼らが悪いのか、周りのせいか
彼らを理解できないのは周りのせいか
周りの人はどこまで彼らに寄り添うことを求められるのか
家族は一生その役割を担うのか
子どもの頃のかんしゃくは「あらまぁ」で済むかもしれないけど、
大人になった時のかんしゃくは、周囲の人には恐怖になり得る。
子どもの「死ね!」という発言は「コラコラ」で済むかもしれないけど、
大人の「殺すぞ!」という発言は「コラコラ」では済まない。
子ども時代から親とのアタッチメントがしっかり育まれていて、支援者や環境に恵まれていたら、健全な生活を送れるのだろうか
あー今日も答えは出ない。
「障害」という言葉がまだ腑に落ちない。
正直「障害」という言葉が好きじゃない。
「障害」とは何だろう。
でも1つだけ、やっぱり思うのは
誰かから愛されていることがすごく大切なことなんだろうなぁと思う。
誰かからとても大切にされていて上手に愛されている犯罪をする人は少ないように感じる。
noteを読んでいると、お子さんの特性をよく理解して向き合おうとしているパパやママの記事をたくさん見かける。
大変なこともあるだろうし、時には投げ出したくなる時もあるのかもしれない。
それでも、そういうパパやママの頑張りや子どもへの真摯な向き合い方は、間違いなく、子どもたちの将来を明るいものにしてくれるんだと心から思った。
だから、本当にありがとうございます。
本当にお疲れ様です。
今日のnoteは完全にひとりごとというか
自分のモヤモヤを吐き出すためのものでした。
付き合ってくださった方にはお礼とお詫びをば。
ありがとうございました!
(次は明るい記事を書きます笑)