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私たちに今、リトリートが必要な理由
わざわざ書くまでもないことですが、ほとんどの人がストレスフルな毎日を送っています。内閣府の調査によれば、男女とも7割くらいの人がストレスを感じていると回答するほどです。
人間関係、仕事、家庭のあれこれ、老後や金銭的不安などなど――。個人的なことだけでなく、ニュースやSNSなど情報にさらされ、時間に追われて、心も体もすり減っている感覚が強くあります。
リトリート。
数年前からよく聞かれるようになった言葉です。もともとは宗教的な瞑想を指していたり、はたまた「退却」を意味したりと、幅広い意味を持つ言葉ですが、ここ近年は意図的な休息・セルフケアを指す言葉として普及しました。
『旅とリトリート』では、あえて「戦略的休息」として、リトリートをとらえたいと思います。なぜなら、うっかりすると、私たちは本質的に休むことが全くできないからです。
本質的に休むことができない理由。その1。
私たちの日常は年々スピードが加速しています。情報の伝達・変化の速度。
最新の事柄をとらえようとすると、それだけで疲弊し、自分自身を見失いかねないほどに、時代は暴力的なまでに加速し、世界中で起こるつらいニュースをことさらに我がこととして受け止める場面が多くなりました。
本質的に休むことができない理由。その2。
「休め」と言われても、本質的に休むのは案外難しいのです。
休暇を持て余し、家に引きこもってひたすら動画を観て時間をつぶしたり。流行りのスポットに行ってみたり。友だちと会って、なんだか疲れてしまったり。
誰かの思惑によって敷かれたレールの上で、「休み」を費消されてしまうというのはけっこう多いはず。もちろんレールの上で遊ぶのがたのしいときもありますが、やはり自分が主導権を握るべきが「休み」だと思います。
本質的に休むことができない理由。その3。
タイパ。コスパ。何か予定で埋めないと損をした気分になる病。
本来、休みは自分のための時間であるべきです。自分を見つめ、内省し、生き物として呼吸しているということを確認する時間。長い長い歴史の時間軸の中で、この瞬間を生きる存在だと認知する時間。
私たちは自分の内なる声をちゃんと聴けているでしょうか。タイパやコスパを気にして、長い時間軸の中で、生き物としての自分と向き合う時間がとれていなくはないでしょうか。
だから、『旅とリトリート』では、戦略的休息としての「リトリート」を提唱します。
何かの消費や欲望や焦燥には乗らない。自然に近い場所。長い時間軸を感じられる場所。自然と人が交わる営みを感じられるポイントに、日常から物理的距離をとった場所に、自分の身を置いてみる。
それが『旅とリトリート』で実現したい試みです。
そして、リトリートは一人ではなく、共通の関心を持った知らない人と一緒に行うのがベターだと思っています。人間関係のしがらみが強くなく、でも心地よい連帯感に包まれる――。そこからリトリート仲間が生まれたら、素晴らしいことです。
そんな、緩やかな連帯感をもって、何人かの人と旅に出るリトリートを、私は分かち合いたいと思うのです。
生き物として、実世界に立つ本質的な自分自身を取り戻すために。バーチャルシーンの多い忙しい時代だからこそ、リアルな自分の心と体を失わないために。