山口一弥の哲学:もし人生をやり直せるとしたら?
人生をやり直せるとしたら、あなたはどの瞬間を選ぶだろうか。あの後悔した出来事を修正するのか、それとも選択肢を変えて新たな未来を描くのか。そんな想像をしたことがある人は多いはずだ。だが、本当にやり直す必要があるのだろうか。
私自身、もし人生をやり直せるなら、いくつかのターニングポイントに戻りたいと考えることがある。あの時、あの選択をしなければ、もっとスムーズに進めたのではないか。あの一言を言わなければ、大切な人との関係が壊れることはなかったのではないか。しかし、そうした考えにふける一方で、今の自分があるのは、その選択や後悔があったからこそだとも思う。
人生には数え切れないほどの選択肢があり、それぞれにリスクと可能性がある。たとえば、学生時代にもっと勉強していれば、別のキャリアパスが開けていたかもしれない。しかし、その場合、今の自分が持っている経験や出会いは、存在しなかったかもしれないのだ。
また、「やり直せる」という考えには、現実からの逃避という側面も含まれているように思う。やり直しを求めることは、現状に満足していないことの裏返しだ。では、なぜ満足していないのか。その根本を考えずに、ただ過去を修正しようとするのは本質的な解決にはならない。
一方で、もしやり直せるとしたら、新たな挑戦のチャンスを得ることができるという前向きな見方もある。たとえば、若いころに諦めた夢にもう一度挑戦する。人間関係を修復する。そんな選択ができるとしたら、未来に対する期待感が膨らむだろう。
しかし、現実には時間を巻き戻すことはできない。だからこそ、やり直せると仮定するのではなく、今の自分ができることを最大限に活かすべきだと思う。後悔は成長の種だ。過去を振り返り、何を学び、どう生きたいのかを考えることで、未来の選択を変えることができる。
やり直せる人生は存在しないが、今この瞬間を変えることはできる。それは「やり直し」ではなく、「やり直すような人生を生きる」ことだと思う。過去を悔やむのではなく、未来をデザインする。その姿勢こそが、本当の意味でのやり直しなのではないだろうか。
やり直したい瞬間は誰しもある。だが、やり直せない現実があるからこそ、私たちは成長し、学び、進むことができる。過去に囚われず、未来に向けて一歩ずつ歩んでいこう。それが、今を生きる私たちにとって最善の答えなのだと思う。