備忘録 22. 広がる世界と狭まる心

第47代大統領にドナルド・トランプ氏が選ばれた。この事実の背景には、いろいろな社会情勢があるのだろうけど、私は単純にアメリカ国民の過半数が、「アメリカ第一主義」を好んだのだろうと勝手に解釈している。「アメリカ第一主義」は、アメリカの孤立主義を強調する外交スタンスであるが、選挙で選んだ国民一人一人にとっては、他の誰でもない「自分」を第一に考えてくれる政策に思えたのだろう。少なくとも、ウクライナやNATOあるいは世界の環境問題よりも、自国民が豊かになる政策をして欲しいと願ったのだろう。

家長である父親が、慈善運動に寄付ばかりして、家に少ししかお金を入れず、毎日貧しい食事をして、みすぼらしい服で生活させられていたら、家庭思いの父親であって欲しいと願う家族の気持ちも分からなくはない。でも、現実にはそんな父親はいないと思う。世の中に困っている人を救おうとする父親は、必ず家族思いのはずだ。政治家はそうではないのだろうか?それとも、心の狭い人が多数派を占める世の中になってしまっているのであろうか?

今回考えたいのは、知識や情報の広がりと、心の広がりの関係である。飛行機が発明され、多くの人々が短時間で世界のいろいろな場所に行ける時代になった。また、テレビやインターネットで、世界各地の情報がすぐに手に入り、自宅にいながらにして、広い世界の様子が多くの人々に伝わる時代になった。このことが、人々の心が広がることにつながっているのだろうか?逆ではないのか?アメリカ大統領選挙の結果をみて、そんな感想が心に浮かんできた。

私は、現在ジオパークという活動に参加している。ジオパークというのは、地元にある岩石や地層、火山や洞窟など地球の営みで出来たものを通じて、地域が地球全体と繋がっていることを学び、地域が世界各地のジオパークとネットワークで繋がることで、地域と地球全体が持続的に発展する道を探る活動である。私は、地域に存在する「石っころ」が地球全体の滑動に繋がっていることを知り、地域の人々の心が世界の人々とつながり、心を大きく広げる活動だと信じている。人というちっぽけな存在は、地球という特別な存在の関係性の中に存在し、世界の人々と繋がって生きていかないと行けない定めにあることを理解することが、より良い未来に繋がるのではないか?そう考えて、ジオパークの活動に期待している。

しかし、昔の人々に比べて、世界中に広がる多くの情報を、毎日持ち歩くスマホ1つで、入手することが出来るようになった現代の人々の心は、本当に広がったのであろうか?ゲームの中の世界しか興味のない人、ビットコインの価値の上下に一喜一憂する人、推しのアイドルを追いかけるだけの人生を歩む人、すぐ使えるわずかなお金が欲しくて貴重な人生の大半を刑務所で暮らすことなる人。そのような人々は、情報や知識が心を広げることに使ってはおらず、狭く短い世界に閉じこもって暮らしているように思う。

昔の人々は、人生の大半を1つの村や町で暮らし、小学校を卒業して働きに出る人々も沢山いた。テレビも新聞も読まなかっただろうし、インターネットも存在しな時代だった。でも、人々との触れあいや、自然との闘いの中で、学び、考え、支え合い、暮らしてきた。その頃の人々の心は、狭かったのだろうか?その頃の人々に大量の情報を与えたら、心が広がったのだろうか?

そのように考えたとき、ジオパーク活動を通して、地球視点で地域を見直し、世界と繋がることで、地域の人々の心が広がると考えていた自分が愚かに思えてきた。情報量だけでは、心は広がらないのだ。そのことを再確認した。では、何が心を広げるのだろう?その答えのきっかけを、アメリカ大統領選挙の前後に見つけた。

ある地域のジオパークフェスティバルで、車椅子ツーリズム体験を実施した。残念ながら、身体障害者の参加はなかったが、健常者に車椅子ツーリズムを体験してもらった。参加者は、車椅子でオフロードを進む難しさとともに、車椅子の人でも、野外で自然の雄大さを目の当たりにしたり、自然の奥深さを学んだりできたら、良いだろうなという感想を抱いてくれた。また、運営側も、車椅子ツーリズムで、障害者を支えて、感動してもらえる可能性の大いなる喜びを感じていった。実際、別の日に、半身不随の障害者が観光に訪れた際に、車椅子で観光地を案内したら、こんな場所まで行けると思わなかったと大変感謝されたと言い、案内した側もとても感動していた。ささやかな試みであるが、案内される側も案内する側も、心がひろがるきっかけを与えられた気がした。

心を広げるのは、情報や知識ではなく、体験なのだと思う。知らない者同士が、大地の不思議を介して、気づき、感じ、喜び、驚く。そのような体験が、案内する側の心も、案内される側の心も広げてくれる。ジオパークでは、世界的なネットワークが構築され、様々な形での交流が促進されている。その中での互いの体験が、参加する人々の心を広げ、それを地域に持ち帰った人が、地域内のイベントで、地域の人々の心を広げる活動をする。そうした地道な活動こそが、人々の心を広げる事に繋がるのであろう。

個人主義や自国第一主義が広がる現代社会においても、異なる人々との交流を通じた体験が大切なのかもしれない。スマホを捨てて、本当の人と直接関わる体験を増やしてはどうだろうか?ITやAIなど、デジタルな世界が尊ばれる世の中だけど、本物の人との交流によって、心が震える感動を味あうことが、人生の醍醐味だと思う。