備忘録 13. 心に潜む鬼:陰陽師の世界と私たちの世界

私は、夢枕獏氏の「陰陽師」シリーズを読むのが好きだ。以前、このシリーズの中の言葉『呪』について書いた。今回は、このシリーズでしばしば現れる『鬼』について考えてみた。このシリーズでは、恨みを抱いた人が亡くなったのち、『鬼』になって現れるケースが多い。しかし、私たちの住む世界『現在』では、そのような『鬼』に出会うことは少ない。しかし、生きている人間にしばしば『鬼』のような所業を見ることはある。つまり、現代では(あるいは平安時代の鬼も?)、『鬼』は、生きている人として現れるのではないか?殺人、詐欺、強盗など悪質な犯罪や、DVやセクハラなどのハラスメントなど、日々のニュースは『鬼』の所業に溢れている。国同士や宗教団体同士での戦争も、大規模な『鬼』の所業なのであろう。しかし、ここでは、そのような大規模な『鬼』の所業ではなく、犯罪に手を染めず、真面目に日々を暮らす人々、特に身近に居る家族や友人の心に棲む、『鬼』について考えてみたい。

その『鬼』は、犯罪を犯すような凶悪な鬼ではない。むしろ、本人が抱える悲しみや辛い体験のささやかな表出にすぎない。日頃仲の良い友人や家族であっても、突然ケンカや仲違いをすることがあるだろう。多くの場合は、ケンカをするきっかけとなる出来事があるのだが、それはケンカの誘因であって、他に素因がある場合が多い。過去の出来事の記憶である。特に昔の出来事を蒸し返してケンカをする場合、素因の強い影響がはっきりとみてとれる。こうした場合、双方に同等の記憶がある場合は少なく、過去に被害を受けた(そう思っている)側に強い思いが残っていて、激しい怒りになる。それに対して、怒りを受けた側は、その怒りの理由が分からず戸惑うが、保身のために激しく抵抗することになる。そして、抵抗しながら、相手の怒りが心の『鬼』のように見えることがしばしばある。このようなケンカは、多くの場合、時間が解決するが、実は、『鬼』は心の奥底に引き上げるだけであって、次なるケンカの素因となるべく、心に密やかに巣くっているのである。

 夢枕獏氏の「陰陽師」シリーズでは、安倍晴明が『鬼』の心の奥底を見つめ、理解し、寄り添うことで、『鬼』を調伏している。私たちのケンカでは、相手を調伏する必要はないが、心の奥底にある気持ちを理解し、寄り添い、抱きしめることで、解決できる場合がある。いや、私はまだそんな解決策を実行したことはない。しかし、理解できない怒りをぶつけてくる相手に、対応する方法は、相手の心の中にある『鬼』、つまり素因を想像し、理解することが、大きなケンカに発展しない平和な解決策ではないか?と考えはじめた。また、ケンカとして表出しなくても、相手が抱えている心の『鬼』を、日々の生活の中で理解しておくことが、大切なのかもしれない。まずは、自分の心の中の『鬼』を自覚しようと思う。そして、身近な人の心の『鬼』も、日々の言動から理解するように心がけよう。そうすれば、少しは平和な日常がやってくるかもしれない。だが、長い人生の中で気づくのが遅すぎたかもしれないのだが。。。