ゆえに行動選択基準。
若いうちだから経験しなさい、とにかくなんでもやりなさい。年上の人はそうアドバイスをする。良かれと思ってだろう。でも本当にそれって正解だろうか?
Vaundyがいつかのテレビのインタビューで言ったよう、私たちは時間のパズルをして生きていく。可処分時間は限りがあるので。大人に提示されたことを常に経験することが正解ならば、その支持した人間が私たち自身より、自分たちに必要な事柄を理解していることになる。
もちろん、経験と客観視を用いて正確に提示してくれる場合はあるが。残念ながらそのような大人が全てではない。
ほとんどの場合は、やるべきこと・やらなければいけないこと・やりたいことを自分自身が 1番理解している。その上で、自分ルールとしてプライベートでも仕事でも『自分がやることとやらないこと』に明確な線を引いている。今日はこの境界線の基準を話す。
50年後もやっていたいか?
私のやりたいこととやらないことを判断する基準は『50年後もやっていたいか?』だ。
具体性を上げて言い換えると『多くの経験をした後、全てが自己判断で動ける状態になった時に、それはやりたいのか?』。
例えば、スポーツ。
スポーツは、身体的に動くのであればサッカーも野球もバスケもバレーもしていたい。
次に先日、こちらの記事で触れた料理。
こちらに関しても、多くの料理を作れて、安いものから高級料理まで幅広く楽しめる大人でいたい。
では、次に夜遊び。
若気の至りで20代前半で、そのようなお店に行きたがる人は多いが、私はその経験はいらないと感じるので、望んで足を運ばない。
自身の判断基準でも、50年後にそのような店に足を運ぶ人間ではないので、今も『やらないこと』としている。
風俗やキャバクラ、ガールズバーを否定しているわけではなく、そもそも職業は需要と供給で成り立っているので、自分の中に需要は存在していないと言うだけだ。
常に今の彼女や将来結婚するのであれば妻に一途でいたいと考えている。
たばこに関しても、ギャンブルに関しても、「1回だけなら」と手を出してしまう人は多くいるが、私は私の為に、ルールを設けて制限をかけている。
可処分時間に限りがある中、「なんでも経験だよ」と大衆の意見を鵜呑みしていれば、自分自身に嘘をつくことになり、いつか潰れてしまう。
だから私は50年後。 70歳になっても継続していたい行動を考えよう。
周りに流され、何でも手を出すのではなく、自らの人間性とも対話し、『やること』と『やらないこと』を明確に分けたい。
その基準が、50年後もやっていたいか?なのだ。
50年後に生きてるかどうかは分からないが、今後も継続していきたいことにどんどん手を出していく。