「喪中」他(通常号 第36号・2002年12月6日発行)
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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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-----------------------通常号 第36号・2002年12月 6日発行 ----
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☆今週は、低学年トラック
1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「りぼん」より
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★喪中
この一週間ほど、毎日決ったように、
「喪中(もちゅう)につき(父○月○日死去)、新年のご挨拶を失礼させて戴きます。」
といった友人からのハガキが二枚三枚と届く。七十三才、七十八才、七十五才と、そのほとんどが七十代。私の父も、六十一才で亡くなってから満十年経つので、元気でいれば、七十一才。
友人たちが、みな四十代になると、その父親たちは七十代。古い葉が落ちて、新しい葉が広がり、又、その葉のもとに、幼ない芽が、自分たちの出番を待っている。色はにほへど散りぬるを——やがては、私達も散りゆくべく……。
友人たちのハガキを見て思うことは、今、こうして散りつつある人たちの一生の歩みみたいなもの、それは、そのまま日本の歩みともいえる茨の道。
いつの時代も、その時流にうまくのってうまく生きる人と、流れにのりそこなって溺れたままでこの世を去る人と、二通りあるような気がする。
父は、小卆後すぐ、丸井(※発行者注…原文は、「○」の中に「井」のマーク)今井に丁稚奉公。十五年勤めて、貯めた金で永山に農地を一戸分買って、東京の菓子学校を出て、稚内で菓子商を営む。ところが、不況インフレで砂糖が統制となり左前。戦争になりそうだといふので、溶接工の資格をとり、札幌の豊平鉄工場に勤めたが、戦運つたなく、この工場も閉鎖。比布の村長をしていた「いとこ」を頼って、役場の書記になる。でも敗戦で「いとこ」は戦犯。役場にしがみついているわけにもいかず、最後の手段、買ってあった土地に戻り百姓をと永山に帰ったが、不在地主だったので、農地改革のあおりで、三町五反のうち、畦込みで一町しか返してもらえず、小作人が五町、六町歩と耕作しているとなりで、地主は一町歩の田を耕す有様。
馴れぬ百姓仕事に母が病に倒れ、食べざかりの私共三人をかかえ、種子売り、菓子の下請けなど内職をしているうちに、車にはねられて昇天。という、溺者の一人だった——。
(1975年12月13日)
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★行く年来る年
お正月のあるこの休みは
紅白歌合戦をみながら
それが終わり
除夜の鐘が鳴り出し
初もうでに出かける
あてにならないと思っても
おみくじを引き
うす明りの中で開く
「どうぞ 来年こそは…」
でも
酒・煙草・ゆうびん そして来年は
鉄道も電話も自動車税も
ぐんぐん あがる あがる あがる
どうしよう どうしよう おまけに
年令もあがる、そして
お子さんは三年生となる——。
(1975年12月25日)
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☆来週は、5年生トラック
1981年度北海道富良野市立鳥沼小5年学年通信「つながり」より
☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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◆編集後記「千鳥足」◆
年末らしい2題が載りました。「★喪中」に書いてあるように、12月初旬ですから、我が家にも、少しずつ喪中はがきが届き始めています。
文中、交通事故が原因で死去した祖父の山口勝保(かつやす)について、父が触れています。1966年4月、祖父は、生後半年の私を抱いて「今度の日曜日に、こいのぼりの柱を立ててやるからな」と言い残して家を出て、その日に車に引かれ、約束の日曜日に他界したと聞いています。
祖父は器用な人で、いろいろなことに才能を発揮しました。でも、確かに父の言うように、時代の流れにはうまく乗れなかったのかもしれません。父が、祖父の生き方に反発していたことは、この文章で分かります。父が40年間、教職一筋だったのも、そういった経験があったからかもしれないと、私は推測しています。
ただ、その父自身も、専門であるスポーツ(主に陸上競技や弓道)に加え、こういったエッセイや脚本、書、絵、写真などの趣味をいろいろと持っていました。
地域名で分かりにくいのは、「永山」と「比布」でしょう。永山は、現在の北海道旭川市にある地区です。1891年(明治24年)に屯田兵村が置かれ、私の曽祖父一家が新潟県新発田市から移り住んだ土地でもあります。上川郡比布町は、旭川市に隣接する町です。
また、丸井今井は北海道を代表するデパートで、道内各地(札幌、小樽、函館、旭川、室蘭、苫小牧、釧路)に店があります。東京・有楽町にある「北海道どさんこプラザ」は、北海道庁が設置し、丸井今井と北海道観光連盟が運営管理しています。
「★行く年来る年」を読んで、最初に浮かんだ情景は、子どものころにテレビで見た大相撲九州場所の千秋楽、「満員御礼」の垂れ幕が下がった映像です。九州場所は毎年11月にありますが、アナウンサーが言う「来年またお会いしましょう」といった言葉に、私にはいつも「年末」を感じていました。
少し脱線しますが、今年の九州場所はモンゴル出身の大関朝青龍関が初優勝しました。日本相撲協会のサイトなどによると、外国出身力士で、初めて大相撲で優勝したのは、ハワイ出身の元関脇高見山関(東関親方)。72年7月、前頭4枚目でした。30年前になるんですね。
それから、この文章で父は、物価上昇について書いてますね。時の首相は、三木武夫氏(在任1974年12月9日〜76年12月24日)。その前任の田中角栄首相(同72年7月7日〜74年12月9日)が「列島改造ブーム」(71年ごろ)や、第1次「石油ショック」(73年ごろ)の時期に在任していましたから、75年の不景気感は、相当なものだったのでしょう。私はまだ10歳でしたから、全く記憶にありません。
(発行者・山口一朗)
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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「JR宗谷本線・風連駅駅名標」ヨッシー宙船さん撮影。
旧風連町(現・名寄市風連町)にあるJRの駅です。この写真は「photoAC」https://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。
■「おことわり」
☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
「◆編集後記『千鳥足』★」で紹介した丸井今井は、メールマガジン版発行当時の2002年には、道内各地(札幌、小樽、函館、旭川、室蘭、苫小牧、釧路)に店があったようですが、2024年12月現在は、札幌本店と函館店のみになったそうです。
一方、「北海道どさんこプラザ」は、運営が変わったものの、有楽町店(東京都千代田区)のほか、さいたま新都心店(さいたま市大宮区)、仙台店(仙台市青葉区)、池袋店(東京都豊島区)、吉祥寺店(東京都武蔵野市)、名古屋店(名古屋市中村区)、町田店(東京都町田市)、羽田空港店(東京都大田区)、海老名店(神奈川県海老名市)、新宿店(東京都新宿区)と、首都圏中心に広がっているそうです。
(編集者・悟風のムスコ)