創作 「虫との生活」
あの戦争から15年がすぎた。はじめの混乱も徐々に落ち着きだしていた。ただ超熱爆弾の影響で海岸線がえぐられたため海がこの近くまできていた。水が町の中を流れていて、いつもジメジメしていた。気候変動で雨が降るのが多くなり、水はけが悪くなっていた。
インフラも破壊されすべての時代が逆回りしたかのようだった。高度な電子技術もいつか再生できると印刷物には書いてあった。かつては画像も瞬時に送りたい相手に届いたという。今送れるのは紙に書いた文字がやっとだった。新聞も発行され出している。世界のことがわかるのは不思議な感覚だった。自分に関係ないことがあたかも自分のことのように感じられる。歴史上の出来事だった国が滅び、国ができる。そんな出来事を見ているかのようだった。でも中には新聞なんて全部ウソでホントは黒幕が仕組んでいると言っている人もいた。労働者は立ち上がるべきとビラ配る人もいた。
虫との生活がはじまった。虫は薄い透明な羽がついていたが、飛ぶのをみたことはなかった。羽を動かす筋肉が退化しているのかもしれないと思った。それも正確なことはわからない。たまに羽を震わせようとしているが見えた。もしかしたら、これは飛ぶためではなく、音を出すための器官ではないかとも考えたが声を出しているのを見たことはなかった。
歴史上、虫は、さまざまな形で人間の生活に利用されてきた。例えば、ハチはミツバチとして養蜂され、その蜜や花粉は食用や化粧品などに利用されている。また、カブトムシやクワガタムシはペットとして人気があった。
他にも、虫は、しばしば邪悪なものや不吉なものとして描かれてきた。例えば、中世ヨーロッパでは、虫はしばしば魔法や悪魔と結び付けられていた。また、黒死病の原因が虫であると考えられていたことも、虫の不吉なイメージに拍車をかけた。
一方で、虫はまた、美しさや豊かさの象徴としても描かれることもあった。例えば、ギリシャ神話では、蜂は女神アプロディーテーの使者として描かれ、美しさや愛の象徴とされいた。
この虫はこれらの虫のどれとも違った。他にも虫には奇妙なことがあった。足が15本ついているのだ。なぜ体の両側についているのに偶数ではないのか。本当は16本で一本は失われてしまったのかもしれない。頭も変だった。頭部というにはあまりにも小さかった。体との対比で言うとバランスが悪すぎる。目のようなものも見えない。どうやって世界を見てのか検討もつかなかった。
餌はよく食べた。幸い草食のようで、キャベツの葉を与えると、前の方の足でキャベツを抱えるようにして持つと、胸のあたりから触手のようなものが出て、キャベツを小さくして体内に取り込んでいるようだった。
プラスチック製の飼育かごに入れていたが、無臭で音もしなかった。やることといえば、底にひいた地方新聞の紙を定期的に替えることと、キャベツを与えることだった。
そのうち不思議なことに気づいた。新聞紙の書いてある内容によって動きが違うのだ。社会面と政治面と文芸面では動きが違うらしいということに気づいた。はじめは動きが違うのは体調でも悪くなったのかと思ったが、気に留めることはなかった。
毎日キャベツをあたえると、いつものように触手を出して体内に吸収しているようだった。ところが、それからが違うのだ。急に立ち上がるような格好をして、足を動かしながら左右に体を揺らし出す。小さく振動しだす。動かさない足は体を支えるために踏ん張っている。
舞踊っているようにも見える。でも虫が踊っているのだと訝しんだ。そうやって振動させながら、さらに少しずつではあるが前進しているようだった。もしかしたら文字を読んでいるのかもしれないと思った。どうやって読んでいるのか、足の細かい毛によって感じているのかもしれない。
意味を理解しているというよりも文字を認識しているのかもしれない。数字と漢字は違う、これは画数が多い、そんな感じなのかもしれなかった。世の中には活字拾いという職があると聞いた。方形柱状の金属の一端の面に、文字を左右反対に浮き彫りにしたものが、印刷するために文字の活字と呼ばれる。これを箱に拾って印刷する列に並べる仕事だ。
意味との格闘ではなく、ひたすら文字を集めていく。想像の中では薄暗い中で、黙々と棚からひたすら文字をつかんでいく人々が浮かび上がる。その姿は意味とは違う、かといって無意味とも違う行為に思われた。集めた先には印刷機とつながり、さらに印刷されて、人々の怒りや、嘆きにつながっているのが不思議に思える。
虫はその逆の行為をしているに違いない。踊りながら文をひたすら文字に分解してる。これも読むという行為だろうか。ただの破壊だろうか。あらためて新聞を眺めてみると、文字ばかりが浮かんでくる。虫という文字は確かに虫らしく、下のほうの線が足に見える。ゾロゾロと今にも歩き出しそうだ。人という文字は、立っている様子を表している。そうみると虫と人が生活するのは異形の組み合わせだ。