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心の言葉を聞く

私がアメリカに着いたその日、フィラデルフィアでムスリム・ハウスに間違って行ってしまい、そこのムスリムの方に『ここで一緒に住んだらどうだ?』と誘われた事を前回お話ししました。(「私はイスラム教徒になっていたかもしれない」https://note.com/yamadorigakuen/n/n2fcf0c554c35?sub_rt=share_sb

実はムスリムの方に誘われる前に、ニューヨークでもう一人の方に『泊まっていかないか?』と誘われました。今回はそのお話をしようと思います。現在の日本の教育状況を、ちょっと時間軸を長く取って見るのにちょうど良いと思うからです。

私がJFK空港に着いた時、空港は大規模な改修工事の真っ只中で、メイン・ターミナルへ行くにもバスに乗らなければなりませんでした。しかも折からの雪でフライトが乱れていたため、バスもごった返していて、どれに乗ったら良いのかとてもわかりにくかったです。生まれて初めての海外、しかも一人旅。迷っていると、ある日本人のビジネスマンが『君は日本人?』と声をかけてくださいました。きっと途方に暮れた私を気の毒に思われたのでしょう。そうです、とお答えすると、『普段はこんなじゃないんだが、運が悪かったね。どこへ行くの?』と言うので、ここからフィラデルフィアへAmTrackで行って、そこで寮にしばらく厄介になる予定ですと言うと、『それは長旅だね。私はここに住んでるから、途中まで一緒にいきましょう。』と言って、バスを選んでターミナルビルまで連れて行ってくれました。途中彼が『なぜアメリカに来たの?』と聞くので、『言語学を勉強したくて』と経緯をかいつまんでお話ししました。彼はやや間をおいて、

『そうか、日本人の中にも、君のような事をする若い人が出てきたんだねえ。』

と、とても感慨深そうに呟きました。

彼は見た目50歳に手が届くかどうかのビジネスマンでした。おそらく日本の大手企業からニューヨークに派遣され、駐在員として仕事をしていたのでしょう。エリート社員です。今考えると、彼はいわゆる団塊の世代で、戦争中か戦争が終わってすぐに生まれ、1960年代前半に大学を卒業したはずです。日本はその後オリンピックを開催し、高度経済成長の波に乗っていましたが、焦土から復興をスタートさせたわけですから、彼が育った当時の日本は、アメリカとは比較にならないほど貧しい国だったでしょう。そんな彼からすると、スーツケース1つ持ち、ショルダーバッグを肩に下げただけの若者が、突然一人でニューヨークにやって来て、『言語学を勉強したい。』などと言っているのですから、隔世の感があったと思われます。『で、英語は大丈夫なの?』と聞くので、『日本で勉強して来たのでほとんど不自由しません。』と答えると、『へえ~、そうなの。』とちょっと分かりかねた様子でした。『実は僕のガールフレンドがアメリカ人で、いつも英語で話しています。彼女は僕の後を追ってすぐ(アメリカに)帰国する予定なんです。』とお話ししました。これを聞いて彼も納得した様子でした。

ターミナルビルに着くと、彼がPenn Stationへ行く電車の乗り場を教えてくれましたが、その時こう言いました。

『もう暗くなってるし、こんな調子だとフィラデルフィアに着くころには、夜もかなり更けてるよ。無理することはないから、今晩は私の所に泊まっていったら?一緒にウイスキーでも飲みながら話そう。いいのがあるんだよ。今晩は俺も一人だしさ。』

これはとてもありがたいお申し出で、長時間のフライトで疲れていた私は少し心が揺れました。しかし、私はフィラデルフィアのクリスチャン・ハウスへ行く予定があります。私が着かないと、そこの人たちや日本の家族・知人がとても心配すると思ったので、その旨お伝えし、お邪魔したいのはやまやまだが、このままフィラデルフィアへ向かうと言いました。彼は『そうか、それもそうだ。頑張れよ!』と優しく見送って下さいました。彼と別れた後、ニューヨークの駐在員生活も一人で寂しい時はあるんだろうなあ、泊まって行った方がよかったかなあ、としばらく考えた事を覚えています。

私は彼の名前も、どこに勤めているのかも聞き損ね、また彼も明かしませんでした。ご存命ならば後期高齢者になっていらっしゃるはずですが、例えご存命でも、この日彼が助けた無鉄砲な日本の若者の事など、覚えてはいらっしゃらないでしょう。

ところで、彼が感慨したように、私のような日本の若者はその後増えたのでしょうか。別に海外に一人で行った若者が増えたかどうかを問題にしているのではありません。私がアメリカに渡ったのは、ただ単に私の内なる声を聞いてそれに従っただけだからです。その内なる声とは『言葉って不思議だな、何だろう?』と言う本当に初歩的な好奇心です。ではなぜアメリカまで行ったのかと言うと、日本の大学で言語学を学ぶためには、まず入試を突破しなければなりません。私にはこの「勉強をするための勉強」、いわゆる受験勉強なるものがとても馬鹿らしく思え、全くする気が起きませんでした。しかも日本では、学生がどの大学に入るかで激烈な競争を繰り広げており、その競争に勝つ事が目的化していて、大学で何を学ぶかはほとんど考慮されていませんでした。一方、アメリカでは英語がわかり、やる気さえあれば、直ぐに誰でも好きな事を好きなだけ勉強できます。言語学はアメリカの方が圧倒的に進んでいましたから、人生の崖っぷちに立っていた私には、他に選択肢がなかったと言っても良いでしょう。

自分の内なる声を聞いてそれに従う。簡単そうで実はとても難しいです。なぜならその声はいつ何を言うか予測がつかないからです。音楽が好き、大工さんってカッコいい、物理が面白そうなどなど。心は、自分の中に居ながら、自分とは独立して生きていると言っても良いかもしれません。しかし自分の心が発する言葉は、自分の心にとって正しいので、それをおろそかにせず生きてゆけば、きっと豊かな人生を送れるでしょう。心が何を言っているか分からなければ、耳を澄まして聞いてあげましょう。心が黙っていたら、なぜ話してくれないか考えてみましょう。そして『これだよ!』と言う声が聞こえたら、後はそれに正直に向き合って生きていきましょう。決して間違っていませんから。

さて、私のような「無鉄砲」な事をする若者はその後増えたのでしょうか。

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