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母と父

母と父には大切にされた。

2人とも団塊の世代で、兄弟姉妹が多い。つまりおじおばが多く、いとこもまた然り。

母と父は2人とも末っ子なので、2人とも祖父母や兄・姉ら(おじおばら)に大事にされたとよく聞かされる。だからなのか、巡り巡って、私が大事にされている。

私は姉と7つ離れている。姉が高校生の時、私はまだ小学生。高校生と小学生では、勉強や部活などで生活サイクルが異なり、途中からほぼ一人っ子のような扱いの時期があった。家族で出かけることも勿論あるが、姉だけ行けない、もしくは姉だけいない時も多い。私が寂しくないようにと、両親が私だけを旅行に連れてくれたことがあった。

屋久島・種子島へのツアー旅行、父の学生時代の友人を訪ねたタイ旅行。
姉のいない時に連れてもらった。


そんな姉はアメリカの高校に1年間留学していた。
姉も姉で大切にされた。

私だけが旅行に連れてもらったのは、きょうだい間でのバランスを取る為と、あとから聞いた。あるいは私が自分で補足して納得した辻褄合わせかもしれない。留学に行けている姉だけひいきしないようにと。

私はよく分かっていなかったので、せっかくの日本の南海の絶景や成長する東南アジアのエネルギーも、小学生の心に深く刻み込まれた体験というには程遠いものだった。もったいない。

きょうだい間のバランスを取るために弟のみを連れ出した旅行であったにもかかわらず、姉も姉でよく分かっていなかったのか、留学から帰国後、姉は怒っていた。「なんで私のいない時に」。客観的には、別に姉がそんなに怒ることではない。姉は姉で刺激的な体験を現地でしてきたことと思う。17歳のアメリカでの1年間、こちらは心に深く刻み込まれたに違いない。

母と父は、特に母は、自分のやりたいことより家族を優先してくれた人生だった。

逆説的だが、実は母をあまりよく解っていない。母は本音はあまり言わない方だと思う。お茶を濁すような感じになることが多い。それを今からほじくり返そうという気はない。そういう母の選択だと捉えることにしている。私の選択でもある。ただ優しくしてもらった記憶以上の記憶は、どこを探してもない気がする。

父のことも、実はなんだかよく解っていない。叱られもしたし、でもそれはほんのちょっとで、それ以上に褒められ、助けられたけど、そして一緒に話をしたこともあるけど、解っているようで解っていない気がする。父ってそんなもんだと思う。


甘やかされたという解釈もできるけど、大切にされて本当によかったと思う。でなきゃ、私がここまで自分の子を大切にできなかったかもしれないから。

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