じじいが「ジジイ」を考察
夕方、業務に余裕ができた。時休で早引きした。
日が徐々に長くなっていくことをしみじみ思う、この時季の5時過ぎ。自宅への上り坂を自転車を押して上がる。坂の途中の公園には帰宅を惜しむように、一部中学男子と主に小学男子たちが戯れている。
公園の生垣の隙間から公園内の子どもたちが見え隠れする。と同時に向こうからも僕が見え隠れしていたのだろう。
僕が公園の入り口前に差し掛かると、僕の前に躍り出た少年は
「なんや全然ちゃうやんけ!」
走り戻って5,6人の少年同士で笑っている。
僕は走り戻った少年を目で追い、5,6人の少年集団に目を移す。
笑ってる?
こっち見て笑ってる?
まあいい。気にするな。
僕は進行方向に視線を戻す。
「ジジイ!」
と言われた気がした。
言われた気がしたので振り返り、再び少年集団へ視線。
僕を笑ってる?
僕はよくわからず、なんだったら動揺すらしていたと思う。
何を言うとも言わないともなしに集団からゆっくり顔を逸らし、平静を装い、努めて同じ速度で自転車を押して歩き続けた。
鼓動が聞こえる。
まず本当に「ジジイ」と言ったのか?言ったのなら僕に言ったのか?言ったのなら僕に言ったのは間違いなかろう。その空間で相対的ジジイは僕だけだ。でも僕は相対的ジジイだ。まだジジイではない。いや、鼻くそ小学生やちん毛中学生から見ればジジイなんだろうが。3日前に40になったし。おめでとう。ありがとう。
いや、だとしても一般に40はジジイではない。リアルジジイの世代の方には悪いと思うが、ただ事務的に辞書的な定義のみにフォーカスするなら、40はジジイとは言い難い。ただただ鼻くそ小学生ちん毛中学生から見たときに相対的ジジイであることは間違いなかった。
僕はこれでも20台だの独身だろうだのまだ赤子の父親だろうだの、いろいろ若く間違われるのだ。見る目がないのは鼻くそ小学生ちん毛中学生だから仕方ないのか。
もし鼻くそ小学生が何か別のワードを噛んだ結果「ジジイ」となった可能性は?噛んだ結果「ジジイ」になりうるワードを想像するが、むずい。そんなワードあるのか。「噛んだらジジイになるワードは?」というお題の大喜利をするのは避けたい。
もし僕に言ったのではなく、5,6人集団の中の別の同級生に「ジジイ」といった可能性は?同級生をジジイ呼ばわりするなど、よっぽどいじられ愛されキャラか、はたまたリアルいじめか。そんないじめ、僕がとっちめてやる。
「石井」と呼びかけたかったが噛んで「ジジイ」になったか?「石井」は噛みようがない。まあ鼻くそ小学生ちん毛中学生なら噛むかもしれないが。「石井」は噛まない。そしてイントネーションが「石井」と「ジジイ」では異なる。万にひとつ「石井」(→→→)を噛んでも、「ジジイ」(→→→)と僕が聞こえたとして僕は「ジジイ」(↘↗↘)へ聴覚を変換することはない。そんな変換を僕がしたとしたら、よっぽど耳が「ジジイ」にダンボになっている他無いだろう。
まあそんなわけで、動揺してむかついて、最終大人のたしなみとして昇華したという話。